現代詩文庫『倉田比羽子詩集』について

倉田比羽子詩集 (現代詩文庫)

倉田比羽子詩集 (現代詩文庫)

◇倉田の詩集は、もう十年以上前に『夏の地名』を読んだことがあった。
 ほかの本は処分しても、なかなか処分しがたい一冊で今も書棚の奥にある。
 昨日書店でこの現代詩文庫を入手して、今、解説や詩人論や、散文、それから、
 『世界の優しい無関心』の抄録の部分をさっき読み終えた。
 あわてて感想を書くこともない。
 それはわかっているのだが。




◇解説の詩人論は、倉田への瀬尾育生のインタビューになっていて、これは
 私のようなものにはありがたい。さっき念の為に家にあるここ十年程の
 十数冊の『現代詩手帖』のバックナンバーや他の詩誌の目次を見たが、
 詩作品は全く発見できず、詩手帖の投稿詩欄の選者として倉田が講評を書いた号があるばかりだ。
 ところで、今年の短歌研究の評論賞の選考座談会で、篠弘が、座談会の発言を
 評論に引用することへの疑義もしくは否定を表明している。
 確かにそれは私も賛成する。この一文は別に評論という意識はない。
 それを言い訳とするつもりはさらさらないのだが、
 私は瀬尾の次のような発言には驚かされたので、
 まず引用せずにはいられない。




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瀬尾/『世界の優しい無関心』以後の詩が、若い詩人たちに与えた影響は
大きかったと思う。形式の上でも倉田さんが獲得した新しい定型のような
ものがあって、それが他の書き手たちにも開放感を与えた。こんな行の
長さで、こんな風に書けるんだ、という発見。若い人たちは今ほとんど
あの形で書いている。あの一行の長さの中に論理性もあり抒情性もある。
散文と詩のちょうど中間の文体がありうる、ということを発見したんだ
と思う。




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 現代詩の中では一種の水先案内人の位置に詩人としても詩論の担い手としても
 瀬尾はいるように私からは見える。どれくらいの重量で、瀬尾がこの発言を
 しているかは、倉田への距離感のある親愛が流れているこのインタビューでは
 はかりがたい。
 しかし正直なところ、「そんなんはよゆーてくれよ!」と脳内関西弁で反応
 せずにはいられない。しかしここにこだわることは本意ではない。
 作品論の執筆は二人、北川透佐藤雄一。佐藤の論の書き出しである。




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 不思議です。
 彼女の詩を。文字通り枕頭の書とし、おそらくは少なくはない人に強くすす
めてきたはずですが、当の彼女の詩について書こうとすると、まったくそのパ
ッセージを思い出すことができません。

            「うつくしい忘却」 佐藤雄一




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 私は素直にこれを読む。
 なんだ・・・。
 そんなにみんな読んでいたのか・・・。
 私は穂村弘に何か詩について聞かれたから「倉田比羽子いいよ。読んだら?」
 とか答えたことがあったが、(7〜8年前ごろかな)
 そんなに読まれているのなら、私が何もいうことはないではないか・・・。
 もののついでに書くが、私が読んでみたいと常に思っていて、
 実際の本を見たことがない詩集が二冊ある。
 松浦寿輝/朝吹良二による『記号論』と海埜今日子の第一詩集である。
 死ぬほど読みたいとかいうのではない。あればいいなと思うのである。
 もちろん今現在どこかで再販が企画されてるかは私は知らない。
 こういうのも実は別に私が言わなくても、変な言い方だが、そうなっているのだろうか。
 もうちょっと書くと、また四、五年前か歌人荻原裕幸のまた聞きになって
 しまうが、ある若い詩の書き手に「『現代詩手帖』って同人誌でしょ?」と言われた
 と聞いたことがある。うまいこと言うな、とも思ったが、それ以上に、何か倉田が
 やっているような詩の仕事、仕事というのはよくないか、詩の営為と言おう、は
 かなり孤独な世界のことなのだろうな、と思わされたのだった。
 誰でも孤独だ、という一般論は抜きにしても。
 それはそれで早とちりだったということなのか。




◇なかなか倉田の詩に入らないが、もうひとつ。
 菅谷規矩雄との、静かな交流の日々を綴った印象深い散文が、本書には
 収録されている。次の個所を読んで、私はソファーにつっぷしてしまった。



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 そういえば当時「Zodiac Series」の打ち合わせが終わって、国立から百草の
団地に一緒に帰ることもたびたびあった。その道々、菅谷さんは「僕は詩人
なんだけどね、詩の依頼はないんだよね」とポツリと口にしたことがいまはと
ても印象的に思い起こされる。

       わがアデン・アラビアー再現ではなく忘却のために 倉田比羽子


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 もちろんこんなことは、詩歌作者ならたいていの人は思うことである。
 詩人、という言葉も、それをすっと口に出来るほど、菅谷と倉田に隣接と
 信頼があったのだと私は思う。
 それでも高校時代に「あんかるわ」の「戦後政治思想論ー保田與重郎論」だとか、
 どこかの高校の記念文集のような装幀の『神聖家族ー詩篇と寓話』を繰り返し
 繰り返し読んだ身としては、やはり吐息のようなものを虚空へ放出せずには
 いられない。
 そしてようやく倉田の詩に入るが、私は少し彼女のこの詩文庫のいま読んだ詩篇に、
 「Zodiac」以前の、菅谷の、詩と、物語を形成するまでに終えられる言葉の群れのはざまに
 自分の営為を置こうとした、その、時代的な、あるいは、国家から、言語から、
 抑圧や、内的な衝迫からも、欲動からも、熱からも、冷たさからも、自由でありつつ、
 美といった瞬間にすでに美ではなく、それは、あの、「季節」のように、
 めぐってくるものでありながら、つねに遠ざかり、手には決して、
 触れられぬ、「それ」 と呼ぶしかないものへの、
 ないものへの、菅谷とはまた違った、
 「女性」の、手の、手触りを、感じるのである。




◇ここからは少し筆をはやめよう。
 単純に私のからだがもたないからである。
 詩集『夏の地名』の名作は、やはり巻末に置かれた
 「スーパー・オリンピアからはじまる」だと私は思っている。
 現代詩ー戦後詩の書法、「叙述のせき止め」「呪術的なリフレイン」
 「詩そのものへの詩作におけるメタな言及」「活字が印刷される紙面
 への実存的な倒錯」等を使用しながら、それにとらわれることなく、
 こころよいリズムと開放感の中へひとをいざなう佳品である。
 「冬でよかった。冬でよかった、と誰かが叫ぶ。
  《詩の読まれる季節がやって来る》。」
 といった個所などは特にすぐれたところだと思う。
 その「詩の読まれる季節」のために彼女が招来したのが、長い一行による、
 視覚的なリズムと、なめらかに律動する息の長い音韻文、世界闘争と
 その中での個人=自己=女性の夢想と現実、夢と記憶、変容する生、
 「学」が分解する「生命」や「機械」、同じく「学」が分解する
 「歴史」と「未来」、それらをみずからのこころの窓辺とも、
 指先からの透明な光線の発露とも見える場所に、
 しなやかにうつくしく一行一行立たせ続けたもの、
 それが詩集「世界の優しい無関心」で彼女が結実させた、各詩篇ではないか。
 この詩文庫版で読む限り、記述のピークは二つあるように私は思う。
 ひとつは詩文庫版89pから90p。
 その前の段落で、「原子爆弾が落ちた歴史を生きて」と、フェイントのように
 世界の現存在の罪と罰をひらめかせたあと、作中の「私」は向かう。
 「完結した世界」「窓のない四角い箱」「火山口の底」「氷山の水中深く」
 (まぼろしの、二階堂奥歯が引用した、小説「桜島」の一節、
  「火口の中は、ぱあっとあかるいわ」が、いま、これを書く
  私、正岡の、こころに、閃いた。)
 90pなかばではこの母国語日本語が制約する宗教=非宗教の二項対立を
 素早い身振りですり抜けつつ、繰り返し繰り返し、「自由」について
 語り続ける。このサイバネティックスホイットマンはどこにでもいて、
 どこにもいなくて、そして、そこに、いる。そこに、その、中に。
 2つ目のピークは、詩文庫版96p、暗く、場所も特定出来ない、妄想的な
 戦争小説の中のような記述の果てに、やってくるのは、
 「どんな種類の悲しみもおよばない悲しみが、悲しみから解かれてゆく」という
 記述である。ネクロマティック・アウンサンスーチー
 しかしまぎれもなく現実のアウンサンスーチーは悲しみの人だ。
 そうではない。そうではないのだ。いやまた。
 そうなのだ。そうであるのだ。
 「悲しみから解かれる」のである。何が?「悲しみから」
 光とともに。闇とともに。
 それが。
 彼女の、倉田比羽子の「詩」なのだと私は思う。


◇それでも思ったよりも9分ほど長く書いた。
 本自体も完読していなから、
 この文章もここで終わる。
 倉田比羽子さんの、御慈愛を祈る。
 


             正岡(疲労困憊)