49歳からはじめる短歌・俳句・川柳・連句・現代詩入門(第七回)

◇第七回目を書きました。


◇まだまだ「入門」じゃなくて、ただ好きなことをいってるだけ感が
 ありますが、もう少し書いたら、単純に「入門」みたいなことにな
 っていくと思います。








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◇現代詩を見てみよう(2)


 安川奈緒さんの話の続きです。
 (惜しいことに安川さんは、これを書いている2012年亡くなられてしまったそ
うです。)
 「現代詩手帖」と「ユリイカ」には、巻末のほうに詩の投稿欄があります。
 私の言う「特殊詩」の世界では、この投稿欄から「詩」を仕事。または自分の
「生」の仕事としてゆく方が現在多いです。
 もちろん投稿欄がすべてではないですが。
 安川さんも「現代詩手帖」の投稿欄に詩を出していました。
 同人誌などの活動もあるかも知れませんが、そちらのほうは私は知りません。
 安川さんの詩にはまたあとで触れます。
 この文章、私は出来れば「となりのおっさん」が書いているように書きたく
思っています。
 いま「詩」について書いていて、なかなかそうなっていないことに、自分でい
らだっています。
 ひとつ思いつきました。
 「となりのおっさん」が「詩」についてあまり関心がないとしたら、それは「
詩があまりうまくいっていない」からではないか、というものです。
 そういう一文をはさんで、安川さんの詩に戻ります。
 現代詩手帖2005年5月号に掲載されている「今夜、すべてのメニューを」です。
 初期の頃の安川さんの詩は、基本的には、現代詩の「語法」を使っています。
 ある程度以上の年代には、少し懐かしい感じもすると思います。
 「現在」というものに対する感覚的なアンチテーゼ、それが完全にアンチテー
ゼとなる前に素早く身をかわすことにより、自らの誠意を読むものと自分との間
に「共有」させる、という書き方ですね。
 この詩には「 」でくくられた詩文があるのでそをこ少しひろって見ましょう。



 「おまえになにがわかる 帰ってくれ」


 「ひとつでもあたらしいことを言う前に/消えてしまえ」


 「おまえのせいで わたしは死ぬ」


 「たのむから便所を用意してくれ」



こんな風に部分引用するのは作者の意に反するとは思いますが、 こうした「露骨
」な日常語の世界を、現実から拾いつつそれを架空の「詩の世界」へ放り込むとい
うことにより、少なからぬ私の言う「特殊詩=現代詩」の人は詩を書いてきました。
 しかし、「語法」とはいってもそれは「ファッション」のようなものですから、
細かく時代に対応したほうがいいはずです。
 そういう意味での「対応」にとてもすぐれたものだと思いました。
 最後に、関口涼子さんの詩集『発光性diapositive』を見ておきましょう。
 「現代詩」を特殊詩というのはとりあえず一度読者を突き放すというところがあ
るからです。
 本屋で本を開いたら、最初のページに「こんな本買うんじゃねえ! ボケ!」と
書いてあるようなものです。
 もちろん実際には書いていません。
 ただこういう詩集の題のつけかたにはそういう意味もあると思います。
 関口さんの詩は一種の「宝塚歌劇」なのだと思います。
 宝塚歌劇が特殊な世界だというつもりはないですけれども、「歌舞伎」とかとく
らべると「伝統のないところに伝統を作り続ける」ことに成功しています。地元や
日本のほかの様々な文化や報道や資本の媒体との接続の仕様にも成功し、一度も宝
塚を見たことがない人でも、そんなに無意味な否定を口にしないのではないでしょ
うか。
 関口さんの詩集は書肆山田という詩集を多く出している出版社から出されていま
す。
 この詩集自体は変形の観音開きを多用した、「ひらく」ことと「詩を読む」こと、
「活字が印刷されている誌面と詩作品のシンクロ感」を徹底した本になっています。
 うつくしく、そしてめんどくさい本です。
 書いてある事を、日常用語に翻訳することは殆ど不可能です。
 自分が自分の詩を書こうとしたらこうなった、ということをまずは共有出来るか
どうかです。その上に読み取れるのは、私は「わたし」感ではないかな、と思いま
す。
 こういうセンテンス=セグメントがあります




それがあなたを
揺らすようなら
所持していない
方がいい。彼の
ような出入口は
どちらにせよ置
かなかったから。



四角くレイアウトされたセンテンスの群れを、また大きな四角の形においた、一種
インスタレーションみたいですけどここでそれをいうにはかすかにあほらしいよ
うな感覚もある「アーティキュレーション、通過点としての」1、と題された詩篇
のワン・セグメントです。わかるとかわからないとかは抜きにして、この人が最後
によりどころにしているのは「関口涼子」という人間の(別に架空でもそれはいい
のですが)「わたし=女性」感ではないかと思います。うつくしくしなやかな詩集
ですが、とてもめんどくさく、すごくきれいなカーテンのようなところもあります。
 ということでいくつか詩を見てきました。
 短歌や俳句も一首一句と見ていくと膨大な量があり、詩もそうです。
 現代詩と呼ばれるものには谷川俊太郎さんや荒川洋治さんがそれについてとても
否定的なものいいをしている作品や、詩人も少なくありません。
 また若い詩人もいますが、基本的には詩の世界も高齢化社会です。
 それでも私は「そんなにバカにしたものでもあるまい」、とずっと思っています。
 いったん現代詩の話を、これでおわります。


正岡