49歳からはじめる短歌・俳句・川柳・連句・現代詩入門(第八回)

◇第八回目を書きました。


◇ちょっと今回も長いですね。
 あと二、三回くらいでいったんこの「入門」も終わろうかな、
 と思っています。








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◇本を出すってどういうこと?




 これを書いてる私の自宅あたりは、朝から大雨です。
 築25年の借家のわが家は、雨漏りなんかはしませんが雨音がいっぱいします。
 この小見出しでは、詩歌にはつきものの「本を出す」ことをめぐって少し書いてみます。
 とはいうものの、私もガンガン本を出して生きてきたわけではないので、経験値は低いです。
 ファミコン版の「ドラゴンクエスト」だと、ラリホーを一回敵に出されて延々と眠り続けて
るみたいなものですね。新しいものだとあそこはもっと進行が速くなるようにされてるのでし
ょうか。どうも新ハード用に移植されたものはやったことがないものでして。
 短歌の入門書では、古いものは、あまり「歌集」というものにページを割いてはいなかった
と思います。
 新しいものはそんなことはなくて、三年から五年で一冊出したほうがいい、と書いてあった
りします。
 詩や俳句について私はいろいろ書いてますが、本の出され方についてはそんなに詳しいわけ
ではありません。
 川柳は二十年くらい昔を見ると、生涯で一冊、という人が多かったようです。
 連句連句集という形ではそれなりに出てはいます。
 「本」の出し方、というのは、結局その作り手が、どういう形でそのあと「詩」なり「俳句」
に関わっていくのか、というのと繋がって来ます。
 詩歌の世界では、今も「自費出版」といわれる、個人の作家の本が大半です。
 もっともこれも細かく見ると、既成の出版社に依頼や相談をして、数百部を買い取るという形
だったり、印刷・製本を町の印刷所に頼んで作る場合もあり、どれも一様にそういう風にいって
いいのかどうかはよくわからないですね。
 また、誰かがお金を出して、故人なり、ある作家の作品集を出すということもあります。
 これは明確に「そういう人がいたからこういう本が出た」と明記してあるものもあれば、そう
いうことは多くの人が知っているけど、明記していいのかどうかよくわからないものもあります。
 邑書林から出た新鋭俳人のアンソロジー『新撰21』などは前者ですね。某社から出た故人の
一冊本の全歌集は後者ですが、私は完全な企画出版だと思っていたので少し驚きました。
 大雑把に金額を書きます。
 作る本の形にもよりますが、完全に自分で作る場合は30万〜50万くらいでしょうか。
 既成の出版社においても、これも形によりますが、80万〜160万くらいが相場でしょうか。
 幅が出るのは、それくらいは出版社によって差が出るからです。
 部数によっても費用は上下しますが、おおかたは400〜600部ぐらいでしょうか。
 並装とハードカバーではそんな費用はに変わらないとか、そういった話はよく聞きます。
 自宅に(なぜか職場に全部数届けられたというとんでもない話もありますが)送ってもらうの
に油紙で包んでるとか段ボールの箱にきっちり入ってるとかの差も出版社(か印刷・製本会社)
によってはあるようです。
 私は一冊をしかも20年以上前に出しただけなのですが、少し書いておきます。
 私の場合は、大橋愛由等さんという神戸の方の、「まろうど社」という出版社に出版をお願い
しました。大橋さんとは、その前から何回か句会を一緒にしての知り合いでした。元から大阪の
出版社に勤めていましたが、独立してその社をおこした直後くらいでした。
 1990年の春のことです。
 これも私の場合は特殊なのですが、その当時私は十代のころからしていた短歌を書く、あるい
はそういうグループに属するということを既にやめていました。自分の書いたものや、作品が載
っている雑誌等を、すべて処分しましたが、自分の歌の原稿をある程度まとめた紙の束だけが、
どうしても捨てられない。
 詩とも歌とも全く関係のない、年長の知人に相談してみました。
 本を出そうかとか思うけれども、そんなことにお金を使うなら、どこぞに寄付でもしたほうが
役に立つのではないか、とか。
 そうすると、その人が言うには、お金を持ってる人なんていうのは、実は世間にいっぱいいる
んだ、きみが本を出すというのはきみにしか出来ないことだろう、だったらそれをすればいいの
ではないか、という答えが帰ってきました。
 納得しました。
 「まろうど社」さん、大橋さんに頼んだのは、当時、1990年ごろの短歌の「空気」と関係があ
ります。
 80年代末の俵万智の『サラダ記念日』のベストセラー化は、とても大きな短歌の世界における
事件ではありました。
 その直後では、新人賞を受賞したいわゆる「新鋭歌人」がどの出版社から、どんな風に歌集を
出すのか、ということに対する選択への期待や関心が、かなりの圧迫感を持って若い歌人たちの
上に覆いかぶさっていた時期でした。
 とはいうものの、こうしたことはほとんど文章化されないまま、現在にたどり着いているので、
「別にそんなことはなかった」ということになるんじゃないかと私は思ってます。
 歌集の専門出版社(というような名称はいつのまにか出来た言い方ですが)から出た「歌集」
には、何か独特の「本」の感覚があります。
 センスの良い装幀や、本文のデザインも含めて、どういうわけか、とても「歌集」らしい感じ
の本に仕上がって来るのです。
 私はなんとかそういうものとは別なものを作ってみたかったのです。
 それが「まろうど社」さんに依頼した、大きな理由のひとつでした。
 当時まだ消費税はなかったですから、基本は100万で500部の買取、で定価は2000円。
 そうそう、書店で買えるような形にしてほしい、というのもひとつの希望でした。
 出版当時は、梅田の旭屋書店などで実際置いてくれていました。
 自分の手元にあるものを書店においてもらえるように自分でまわってみる、ということはしま
せんでした。
 手元の歌の原稿は、歌集の原稿に編集したものを送付したあと、やっと捨てることが出来まし
た。
 お話としてはそういうことで、出した当時はとても否定的な気持ちを自分の歌集に持ったもの
ですが、いまはあれでよかったと思っています。
 俳人筑紫磐井さんが、あるインタビューで、自分の第一句集に触れて、「第一句集を出して、
攝津幸彦と出会った、それがすべてだった」と語っています。
 現在の筑紫さんの活動や文章からは考えられないくらい、それ以前の「沖」時代では閉じられ
た世界にいたことに、そのインタビューを読んでほんとに驚かされました。
 現在私は「歌壇の人」(歌壇や俳壇については私は肯定的です)ではないですし、有名歌人
もないと自分で思っていますし、事実そうだと思います。
 ただ、今現在の生活において、ともに暮らしているひととも大きく縁があったのもその一冊の
本によるところが大きいし、2000年の再版には枡野浩一さんの無私とも思えるリスペクトはとて
も大きいものでした。現在は「短歌ヴァーサス」に収録された増補版の読者の方が多いですが、あ
れも荻原裕幸さんが荻原さんにしか出来ない形で、編集してくれたものでした。
 詩歌の創作というのは、それはそれで個人的な、「ひとりうたげ」ではありますが、ほんとに
一人で作り続けられるものなんかではないと思います。
 そのことをこの年齢で噛み締めるように思うことが出来て、私はよかったなと思っています。
 今度は自費出版物以外のもののことを、わかる範囲で書いてみましょう。
 見城徹さんの著書によると、銀色夏生さんの角川文庫で出ていたものは、出せば一時期どれも
100万部売れていたそうです。きちんとしたデータを一度見てみたいものですね。疑っているわ
けではなくて、単純に知りたいだけです。
 谷川俊太郎さんは、基本的には、依頼された仕事でずっとやってきた、というお話をされてい
たことがあります。
 手元に本がないので引用しませんが小田久郎さんの『戦後詩壇私史』の冒頭に、谷川さんが詩
を自分の仕事としていくことについてのスピーチについての記述があります。
 この本amazonでも古本がすごく安くなっていてびっくりします。
 1995年刊行とはいえ、いい本なのですけどね。
 枡野浩一さんと林あまりさんに共通しているのは、「歌集」を出すたびに(とはいっても二人
共そう多く歌集としての本を出しているわけではありませんが)「これが最後の歌集だろう」と
思って出していることでしょう。
 笹公人さんは、現在ひょっとしたら「短歌」としては最も多くの読者を持っている歌人ではな
いかと私は思っています。
 手元にある笹さんの歌集には、どれからも「屈託の無さ」が感じられて、これは今「本」とし
ては結構大事な要素なのかも知れません。
 穂村弘さんはもう少しハイペースで歌集を出してほしいものですが、これは同時代人としての
目で見るからであって、数十年たてば何かまた違ったものとして穂村短歌は見えてくるものなの
かも知れません。
 俳句はどうなのでしょう。
 わかりにくい感じがするのは、谷川俊太郎さんや吉増剛造さん、穂村さんや枡野さんのように
は現在ポピュラーな人がいない感じがするからでしょうか。
 千野帽子さんの俳句関係の仕事は、現在千野さんが推進している「マッハ句会」等と一緒に考
えないといけない、という所があるので、既成の「文芸」といろんなところで絡み合ってしまう
「俳句」と一緒に考えていいものかどうかは私はよくわからないです。
 よくわからないから端折るというわけではないのですが、坪内稔典さんが書くところの「レッ
スン・プロ」「テレビ俳人」ということ以外で、「句集」と「俳人としての自分のキャラを看板
に立てて一般の世界で糧を得ようとしている」という人が思い浮かばないのです。
 坪内さん自身は「自分の本は歌人が買ってくれるから売れている」というようなことも書いた
り話したりしていましたが。
 川柳では、いまで言うところの「ポピュラー」な形でありえたのは時実新子、というところに
なるでしょうか。
 実際には川柳の史的展開というのはこの十年くらいではたから見ていてもかなり語られたり読
まれたりするようになってきた感じがします。
 生涯句集一冊であるとか、もともと無名性にこだわるところがあるとか、川柳大会での上位入
賞の名乗りが人づてにその作者のポジションを押し上げてきたとか、そういう要素から、私の言
う「達成主義」による他の詩歌のようなジャンルの確立とは少し違った道を歩いているところが
川柳にはあります。
 多くの川柳作家が結構自分の作った句を自分の手元に残していない、というのもまだよくある
話のようです。
 ただ俳句も川柳も「セレクション俳人」「セレクション柳人」という邑書林の比較的求めやす
い価格帯での現在=近過去の作家たちのシリーズ本が出て、これはこれでとても画期的なことだ
ったと思っています。
 最後に連句ですが、ここもポピュラーな連句作家というのはいるとは言えません。
 ただその分、定型詩の他のジャンルよりも一番現実的な「ローカル性」に根ざしていますし、
そのようにしてしかこの詩型が存続しえないことについて自覚的であるように思えます。
 また主に学究的な部分で言及される「連歌」についても、門外の私から見れば開かずの扉が開
くように光田和伸さんや島津忠夫さんがほんの時折その「学究」の外側で、発言してくれること
も忘れがたいですね。
 えーっと、後半は退屈な文章になってしまいましたねえ。
 経験値が低いのに背伸びをしているところもありましてお見苦しいばかりです。
 また部数や金額にしても、聞きかじったことを明記することはなんだか変な感じもします。
 「売る」側から見れば、詩歌関係の本は、まだまだとても売りにくい本だと思います。
 そういう現実がある以上、私は自費の出版物として詩歌集が世に出ていくことは、それはそれ
でいいことではないかと思っています。
 またそういう中で、なんとかして商業的に成立するような形で、自分の本を出そうとしてゆく
ことも、いくらでも試みられていいと思います。
 「本を出すってどういうこと?」という小見出しなのですが、答えとしては「それは本を出す
ことだよ」とか私にはいうことが実はありません。
 青嶋ひろのさんが出した俳句と猫の写真集を合わせた『逢いたくなっちゃダメ』『誰かいませ
んか』という二冊の本があります。
 彼女がこの本を思いついてから、各出版社に企画を持って回って実際出るまで、二年から三年
は時間がかかっているのではないでしょうか。
 私はまだこの本が出るまでに、ラフのようなものをお酒の席で彼女に見せてもらったことがあ
るのですが、実際に刊行されたものを見て、驚き、ほんとうに感激して、そのまますぐに彼女の
携帯に電話をかけました。
 青嶋さんは俳句も書いてはいましたが、この本は、彼女がもっともっと、世に出したいと思っ
た他人や故人の俳句作家たちの書いた句のアンソロジーです。
 元の単行本は絶版ですが、しばらく前にソフトバンクから文庫本が二冊とも出ました。
 私はくまざわ書店で買いましたが、発売されてから間もないその日、文庫の新刊の平台に平積
みされていました。
 書店の棚も、コンビニの棚と同じでスペースの奪い合いです。
 「お金」のこともとってもとっても大事なのですが、それぞれの詩型にささげられた情愛と努
力が結実したような本がいいなあ、と私は思っています。
 以上でこの小見出しを終わります。