mixi日記再掲載(4)読んだ本−桜庭一樹・津村紀久子

◇別に小説を読まないわけじゃないですけど、
 やっぱり少ないかなあ。ということで長編と中短編集二冊の感想です。


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読んだ本−桜庭一樹・津村紀久子  2010年11月19日14:41



◇読んだ本


私の男 (文春文庫)

私の男 (文春文庫)

カソウスキの行方

カソウスキの行方






 流れる雲を追いかけながらほんとのことを話してみたい。
 正岡豊でございます。
 なんで日記こんなにあくんだよ。



 さてー。
 続けて読んではいけないものを続けて読んだ気がするこの二冊。
 桜庭一樹ははじめて読んで、そいでももう三年前の小説で、
 三年たつともう誰も読んでいないのかもとかおもったりしますな。
 ネタバレいいかな?




 物語は9歳のときから若い実の父親に抱かれたりなんやかんや
 されてたりしてて、それを止めようとする余計なことしいの
 近所のひとをその女の子が高校生のときに殺してしまって
 云々という作品。
 25歳くらいになってそういう関係も終わりをむかえようと
 してるころに結婚相手のそれ相応のひとがみつかって、
 いっしょになったらその父親はどっかにいってしまった
 とかいうのがあらすじかなー。
 殺人までするひとというのは最初から特別であるという
 設定があるわけだから、リアリティがあるとかないとか
 いうよりも特別であることのステロタイプ性というのが強調
 されてしまうような気がするわけで、そこに
 のめりこめるかどうかが、読後感の良し悪しを決めると
 いうのかなー。そんな感じ。
 で、続けて読んだ津村紀久子のは、芥川賞とったのは
 別の話なんだけど、やっぱり殺人なんか犯さないし
 父親と9歳からエッチなことなんかしてない28歳の女の子の
 言葉と社会の関係性っていうのかねー、そういうのが
 よくよく描かれてる気がして私はとてもおもしろかったです。
 でも私は48歳だからほんとに津村の小説の主人公とおないどし
 くらいの女性にとってはどうなのかなー。
 男ってわりと女のことばかり考えてるところが
 あるわけじゃないですか。
 いや同性愛系のひとのことはまあ置くとして。
 まあそうじゃなくて新潟県のこととか、水仙のこととか
 機関銃のこととかばかり考えてる男というのもいるわけですが、
 やはり仁義たって礼節を知るというか死んでばかりいては
 きみだめだよというかそれなりに20代くらいならそうじゃないのかな。
 でもやっぱり女性というのは男のことを考えてるようで
 そこでやっぱり内省的に常に反射としての自分の
 女性性について考えてるというかねえ、
 そんな気がするわけですよ。
 なかで「ああ!」とか思ったのはたとえばこういうくだり。



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それから、持っていないだろうと思いつつも、ハンドクリーム
を作るための尿素を借りに行ったら、「園芸用のだけど」とい
う注釈付きで本当に出してきたこともあった。尿素といってそ
れを何に使うかわかるだけならまだしも、自宅に常備している
男は初めてだった。園芸用といった手前だからかどうかはわか
らないが、ベランダで作ったというじゃがいもと小松菜を分け
てくれた。イモと葉っぱと尿素を持って階段を降りながら、い
い人なんだけどなあ、とイリエは首を傾げていた。ブログを書
いていたら読むだろうけれど、付き合いたいかというとそれは
謎だ。



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 ああっ!
 ブログを書いてたら読むだろうけど!
 ツイッターやってたらフォローするだろうけど!
 青磁社のシンポで吉川宏志と対談したあとやたらに遠い目を
 して、おもしろかったですよ、と言われたら「もっといって
 ください!」とかいってたらそれなりにかわいいと思うけど!
 ま、最後のはいいけど、そういう男への感じ方考え方という
 のは微妙な値踏み感とそう考えるだけの人間関係とその満足
 不満足への微妙な切迫感があっていいんじゃないでしょうか。
 あと津村の本は3つの短編がはいってて、これが表題作、次の
 にも、化粧水を自作する女性が出てくるんだけどこういうの
 もなんかいまっぽくていいなあ、と単純に私は思ってしまい
 ます。短歌つくんのとどっちがいいのかとかは思わないけど。


 だいたいいわゆる広義のミステリーでは何かを守ろうとして
 「殺人」という行為が発生しちゃうわけですけど、どっちかと
 いうと津村の小説に出てくるような女の子のほうが、なんか人
 生のしょうもなさと貴重さがわかってるような気がして
 いいかなあ、とか思ってしまいますなあ。
 主人公の女性が男と二人きりで会社のテレビをみてかえってきた
 あと「やりましょうって言えばよかった」とかいうくだりも
 すごくいいなあ、と思った。








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◇2012/10/4付記




◇桜庭さんのは一応広義のミステリだから、あらすじ紹介しては
 いかんかも知れないのだけど、うーん。
 昔のミステリは「悪いやつ」が事件を起こしてましたけど
 数年前の何年かは「頭のいいやつ」が事件を起こすという感じでしたねえ。
 今はなんなんだろう、「共感を呼ぶ人」が事件を起こすんでしょうかねえ。
 『図書館戦争』なんかもあんな話だとは思わなくて、
 もっとブラッドベリとかあんなんかな、と思ってて、読んだら
 「女の子ストーリー」だったのでびっくりしました。
 でも売れるということはそれだけの価値を認めてる人がいるということ。
 職場の20代の独身の男の子もなんか文庫本読んでると思ったら
 『境界のラグランジェ』とかだったりするわけで。
 この間『文学賞メッタ斬り!リターンズ』の並送本を読み返してたら
 三並夏の「平成マシンガンズ」の話とか出てきてて、うーん、あ、
 おれこれ「文藝」で読んでるじゃん、またイジメ小説かーとか
 がっくりきたんだった、と思い出した次第です。
 「蹴りたい背中」もイジメ小説に思えたけど、ジャンル化したら
 だめなんでしょうかねえ。
 『文学賞-』はもう文庫化してる古い本ですが豊崎さんはここで田中康夫
 『なんとなく、クリスタル』を結構否定的に語っています。
 私は冒頭の十数ページの「言葉の流れ」はすごく感心しました。
 今の人はどういう風に読むんでしょう。
 それにしても大辻隆弘の『岡井隆と初期未来-若き歌人たちの肖像』が
 本屋大賞あたりに選ばれる(小説だけか、あれは)ような時代が
 一度でいいからこないものでしょうかねえ。
 「不条理」じゃなくて「正条理」が紡がれるテキストというのは
 結構得難いものだと思うんですけどなあ。




◇あ、「死んでばかりいてはきみだめだよ」というのは北川透の詩の
 フレーズです。ちょっとなんの詩かはもう忘れましたが、古い
 −1995年以前−ものです。




◇『青磁社のシンポで吉川宏志と対談したあとやたらに遠い目を
 して、おもしろかったですよ、と言われたら「もっといって
 ください!」とかいってたらそれなりにかわいいと思うけど! 』
 というのは斉藤斎藤のことです。同じシンポの高野公彦さんの
 話はおそろしく退屈でしたが、斉藤斎藤は孤独そうな感じがすっかり
 抜けてて青年歌人っぽくてよかったですね。
 「短歌研究」の「うたう☆クラブ」の斉藤斎藤のコーチの文は、
 「いま頭のいい人間(歌人じゃなくて人間)が短歌を語ると
 こういう風になる」というとても見事なコーチングになってると
 思いますね。
 私は短歌や俳句のことを語ってるようでも実は自分のことしか
 言ってないので、わかりにくかったりするわけですけど。
 それはそれでいい、というのは諦めではなくて、
 私の希望が結局はそこにしかないからです。



           正岡