永井祐歌集『日本の中でたのしく暮らす』の感想

◇永井祐さんから歌集をおくってもらって私はとても楽しく読んだ。

◇遠い昔の『別冊マーガレット』に載っていたマンガで(たぶん大谷博子の作では
 ないかと思うのだが、さすがにもうそこまでは覚えていない)、満員電車の中で
 気分が悪くなってきた主人公の女の子が、車中で流れてきた口笛(!)になんと
 なく癒されて少し気分がよくなる、というのではじまるものがあった。
 はあ、と思うのは今なら混んでる電車の中で口笛を吹くというのは少しばかり異
 常な行為で、(何この人?)とおもわれるには違いないからである。
 しかし永井の歌のひとつのモチーフが「圧迫の緩和」であることは間違いないと
 思う。ただし、永井の書いているのは「短歌」なのだから、「圧迫の緩和」そのもの
 ではなく、「圧迫の緩和の短歌化」がそこでは最重要事項となる。
 そこで大切になるのは、たぶん「射程」と「選択」が同一視されるような場所から
 言葉を紡ぎだすことではないか。


 *映画館の座席の肘を握りしめ散る満開の桜を想う   p25

 *カップルが映画の前売券をえらぶガラスケースを抜けゆく西陽   p44

 *サクサクとポッキーを食べながらみる映画の中の信号無視   p54


 ここで永井が歌っているのはジャンルとしての「映画」ではないと私は思う。
 自分が自分である、あるいはその人がその人であることの「要素」のひとつとして、
 会話の中で、消費される、いや「消費」というような単語を使うことすらおこがましい
 雑貨の亜種ともいえる、(しかしそれはそれでかけがえがない、ということもまた大事なことだ)
 「映画」であり、それはかなり話題になっていたとしてもあっという間に劇場公開が
 終わってしまう気がするようなここ数年の「映画」の感覚とよく合っているように
 私は思える。
 「映画」に酔うのではなくむしろお金と時間をかけていながら微妙に疎外されること、
 そしてまた疎外されることによりまた微妙にやすらぐような感覚が、山型の韻律の曲線を
 持つそれぞれの歌の調べとともに、読者に手渡しされているようである。


◇短歌とは何か。
 今端的に言えば、私にとってそれは「ひとつの美学」である。
 一人の人間が「短歌」を選択する。
 しかしその人間はその前に「言葉」を選択しているし、その前に「生きる」ことを
 選択しているし、希望するしないにかかわらず生まれ合わせたその自らの生存の時代や
 世界や生国を放棄することなく「選択」している。
 また人間としての自分と自分以外の人間の関係をも選択している。
 その取捨選択に「どうしてもこれだけは譲れない」という一線を貫くこと、私はそれを
 「ひとつの美学」と呼ぶ。
 美学だからあんまりお金にならなかったりするのかも知れないし
 (うがっていえば権力に弱かったりもするのだが)、それはともかく、
 永井の選択意識のしなやかな強さを私はとても好もしく、またおもしろく読んだ。


 *やせた中年女性が電車で読んでいるA5版の漫画のカバーなし  p41


 *ベルトに顔をつけたままエスカレーターをのぼってゆく女の子 またね  p42


 *缶コーヒーのポイントシールを携帯に貼りながら君がしゃべり続ける  p56


 ああ、缶コーヒーのポイントシール!
 カバーなしの漫画!
 永井はこういうものをこの世界から切り取って見せてくれる。
 それらにささやかな執着を寄せる人の面影と一緒に。
 それは私も自分が歌を作るときにときおり固着する「コーヒー」「カバー」「シール」といった
 「ー」の間延び感に引きつけられるという面もあるにはあるだろう。
 また、いまはなき「短歌WAVE」の新人賞の選考対談で水原紫苑が言ったように、
 『「アララギ」と「穂村弘」』というものあるだろう。
 (とはいえ、新人賞候補作のなかで穂村・水原がネガティブな感想を寄せている短歌作品は
  それなりに捨てられている)
 しかし私はこれはこれで「ひとつの美学」だと間違いなく思う。
 あとはそれが、「ひとつの美学」だとまっとうに認識されるかという「戦い」の問題になる。
 それはどんなに親しい「友」がいたりしても、結構孤独な戦いになる。

◇いまさらいうまでもないが、そういう意味では、永井の歌も、枡野浩一などと同じく、
 「男歌」の世界なのである。わざわざそう書くのは、現在のエロスの歌の微妙なうまくゆかなさ
 をいったい誰が引き受けてゆくのか、現在の歌壇やその状況にかなりうとい私でも、
 少し危惧しているからである。(信じてもらえないかもしれないけれどもたぶんほんとに
 している。)
 ということで、「選択」意識の強度は十分に楽しめたので、第一歌集以降は、そのあたりの
 突破口を見せてもらえれば私はうれしい。
 あと、短くてもいいから、やはり歌集には「後書」のたぐいは何かあったほうがいいと思う。
 いくつか付箋をはった歌を最後に引いておく。


 *鼻をすすってライターつけるおいしいなタバコってと思って上を向く  p57

 *交差点にお昼の日ざし もらっとけばよかった割引券思い出す  p61

 *ある駅の あるブックオフ あの前を しゃべりながら誰かと歩きたい  p87



                                正岡