敵は船頭、船頭版

◇いただいた本


*「川柳木馬」 第114号 北村泰章追悼号


 袋から取り出して、追悼の語が目にはいった。驚いた・・・・。
 逝去は8月19日とのこと。
 北村さんに会ったのは、確実におぼえているのでは二回で、
 一回目は短詩系文学研究会「獏」の五周年か六周年の大会。
 二回目は、2000年の「川柳ジャンクション」の会場である。
 特にさほど会話があったわけではなくて、
 2000年に会ったときにすでに20年近い年月を経ていたわけだから、
 おぼえていないでしょうね、といった私の言葉に、「おぼえてますよ」
 と返されたのだった。本当におぼえていたのだと思う。
 ただそれだけのことぐらいでそんなに驚くのか、と思うひともいるだろうし、
 ていのいい感傷をこんなとこに書かないでほしい、と思うひともいるかも知れない。
 しかし、「作品としての川柳」を大きく包む「現場としての川柳」において、
 高知の地に北村泰章というひとがいる、高知商業川柳クラブというものがある、
 ということが、彼方に窓の灯りのように見えていた、
 その存在と持続に、いくばくかの、あるいは言葉に出来ないような、支えを感じていた
 川柳の作り手は少なくないはずだと私は私のいる場所から、そう思う。
 それがそんなに間違っていると、私には思えないのだが・・・・。
 同誌掲載の「北村泰章百句」より、三句を引く。



 風が甘い妻よ砂丘に登ろうか


 教え子に何を教えし雨の音


 祖母病んで私に秋の音がない



 私より若い歌の書き手や、私とは違う場所にいると思える歌の書き手について、
 (このひとは自分のいま書いているそのジャンルに対して、深い愛情を
  持っている別なひとがいる、ということが、全くわかっていないのではないか)
 と思うことが最近時折ある。
 そのひとが持たないのはそのひとの自由だけれど、他人も同じようにもっていない、
 と思うのは、そんなにいいことではない、と私は感じる。
 別にそれが詩のジャンルであれ、異性や高価なものであれ、
 「深い愛情」がもたらすものは「良い結果」ばかりとは限らない。
 だから私はそんな「愛情」はもたない。というのは、それでかまわないのだが、
 やはりこの世には自分とは「別な人」というのがいるのである。
 川柳というのは、(そしてたぶん連句も)その「川柳」というものに
 「深い愛情」を持っているひとがいる、ということが、まず、ほかのひとに
 わかってもらいにくいジャンルだと私は思う。
 川柳のことがおまえにわかってたまるか、と思うひとも
 いるとは思うのだが、これは私の「正直」な感想です。
 「作品としての川柳」「現場としての川柳」も、そして「川柳木馬」も、
 次回投句の締め切りが掲載されていることで続いてゆくようですね。
 雑誌をずっとおくってくださってありがとうございました。
 北村さんにこれが届くわけではないのはわかっていますが、
 せめてもここに書かせていただくことを許してくださるようお願いします。



◇買った本


*『谷川俊太郎<<詩>>を読む』 谷川俊太郎/田原/山田兼士/大阪芸大の学生たち 発行:澪標
*「俳句研究」1988/1月号・1997/11月号
*「短歌研究」1984/4月号・1991/11月号


 谷川俊太郎の本は、大阪芸大で行われていた谷川さんを迎えての特別講義の2003年のものに、
 山田、田原(ティアン・ユアン)、の論文やゼミの学生の文をつけくわえてまとめたもの。
 谷川の「minimaru」の雑誌発表からもう5年とはね。
 また古い雑誌を買ってますが、新しい本は明日の休みに仕入れにいこうかな、と。
 宇田川くんのとこから出てる本を買ってきます。


吉本隆明*笠原芳光の対談を通読中。
 吉本が近藤芳美が好きだ、と言っていて、あ、そうだったの、という感じ。
 あと「現代詩手帖」の6月号の吉本の一文でもそうだったが、ここでの岡井隆への評価は、
 「番犬の尻尾」や、まだ実験がたりないのでは、といっていた過去の吉本からの岡井への批評と
 くらべると、きわめて高いものになっている。
 それにかかった吉本・岡井両氏の「時間」の長さに改めて感慨を深めることおびただしい。
 「吉本よきみとおれとは闘った/しかし」のあとが「勝負は問題ではない」だったか、
 どうか、おぼえてないのがくやしかったりする。原本は手元になし。
 うーん。
 ただ、吉本隆明は、俳句に関して、(これは「俳壇」のインタビューでも言ってることだが)
 『(俳句を)「一行の詩」にしようとするのはよくない』
 というのがあって、この場合の「一行の詩」というのが誰や何をさしているのか、
 具体的にいってくれればいいのに、と思う。
 夏石番矢とか攝津幸彦とかかなあ。
 あと吉増剛造のこの対談時点での近作について、


 吉本/船頭があまりにも優秀なので山まで船が乗り上げている、そういう
    ことではないでしょうかね。


 と言ってるのは具体的にイメージすると、やっぱりおかしい(笑)。