「生き残るものは愛だけである、と。」


◇買った本


*「短歌」  2007/11月号  角川学芸出版


◇おとつい買った「文學界」は、枡野浩一による松尾スズキのインタビューが
 掲載されていたので買った。
 演劇に関しては、私は素人である。
 松尾スズキの芝居も見たことがないし、本としては河合克夫が絵を描いた
 漫画ゴラクか週刊漫画の連載をまとめたものを読んだ記憶があるだけだ。
 その本は、掲載誌から来る「雰囲気」の性もあるだろうが、
 30年近い昔の青年漫画誌によくあった、(「漫画アクション」の
 アクションジャーナルのような)当時の漫画雑誌自体が宿命的に持っていた
 高度なサブカルチャー性の、遙かな名残やエコーみたいに思えた。
 河合のフニャフニャした線や松尾のホニャホニャした話はそれなりに楽しめた。
 チェルフィッチュ平田オリザの芝居は、テレビやビデオで一度づつ見た。
 インタビュー自体は、おもしろく読めた。
 松尾スズキも1962年生まれだが、ロシアの村上春樹と言われる
 ヴィクトル・ペレーヴィンも1962年生まれである。
 62年生まれマニアはチェックしておきましょう。


◇短歌雑誌もひさしぶりに買った。
 感想を書こうとしてなんだか手が止まるのは、
 いろいろ考えすぎるからだろう。


◇荻原さんのブログに、先日の私が彼の歌について書いたことの、
 感想が書いてあった。「ふるさとの訛」という語に苦笑してしまう。
 前衛短歌の影響、と一言に言うけれどひところはほとんどの人が影響されていた
 わけだから、改めて自分の短歌にそういうものが濃厚だと気づかされたのは、
 ほんの数年前くらいのことである。
 塚本邦雄の影響と前衛短歌の影響というのは重なる所も多いのだが、
 かなりずれるところもある。
 そして影響といっても一様なようでひとそれぞれだから、
 結局自分の影響の度合いもひとの影響の度合いもなかなか正確にはつかめないのだ。
 みんな着てるなあ、と思って黒いシャツを私も着た。
 いつのまにか、黒いシャツを着てた人はいなくなったり着替えてたりした。
 え、俺だけかよ、とか思うわけだ。
 暑そうだよ。はやんないわよ。これからは社会詠よ。とか言われたりする。
 (うそ。べつにいわれてないです。)
 でも袖切ってタンクトップみたいにしたらまだ着られるじゃん。
 と別に強がりでも意地でもなく思ったりする。


◇同じ荻原さんのブログで、江田浩司さんが万来舎というサイトで
 時評を書いているとあったので、そちらをのぞいて見る。
 いただいたままなかなか読めずにいる『ピュシス・ピュシス』という
 歌集も持ち出して見る。
 歌はやっぱりわかりにくいので読み進めるのが困難である。
 なぜわかりにくく感じるかというと、初句にわかりやすそうな単語が
 置かれてる場合が多いからである。
 初句にわかりにくい(もしくはわかりにくそうな)単語をもってくれば
 だいたいあとは腕が勝手に下まで書いてくれるものである。
 そのとき腕がどう動くかは、単に腕に対する「躾」の問題である。
 しかしそういう書き方は江田さんはいやなのだろう。
 あるいは江田さんにとってはそういうのは「短歌」ではないのだろう。


◇もう少し、と思ったが、この間作った歌をアップしておく。
 サイトのトップページからどうぞ。