アルファンウィの才覚と職歴


◇読んだ本

パルモア病院日記―三宅廉と二万人の赤ん坊たち (新潮文庫)

パルモア病院日記―三宅廉と二万人の赤ん坊たち (新潮文庫)

 これは・・・いい本だ。
 惜しむらくは、内容が、少し多すぎる。
 中身を日付としてせずに3分の2ぐらいにして、最後に対談を入れると、
 ドキュメントだか啓蒙書だかよくわからない今風の本になったのに。
 でも単行本の初版が1986年ですからね。
 ん、と。
 医学医療関係のノンフィクションだと私はまず『こうしてエイズは蔓延した』
 (ああ、「レーガン政権」!)
 を思いだすんですが、この本は産科と小児科の谷間でなかなか治療や研究が
 すすまなかった「周産期医療」というものに取り組んだ三宅廉というお医者さんの
 活動を追ったもの。
 パルモア病院というその病院が、そこで生まれた子供を15年目に集めて一人一人
 記念品をわたす、という「同籃記念会」というところからこの本ははじまって、
 本屋に在庫してたらこのはじめの30頁ぐらいだけでもざっと読んでみて
 ほしいですね。私は胸に来るものがありました。
 15年目に集めるということは、(その病院では500人ほどが生まれて、150人ほどが
 この年には集まったと記されてます。)ずっと生まれた子のことを15年間気に
 かけ続けているということですね。しかもこれは毎年行われていたわけですね。
 本書ではそういう三宅医師の生い立ちやパルモア病院の歴史と現在を
 書いたもの。日本では病気になったら損をしたと思うが、欧米では病気と旅行に
 金がかかるのは当たり前でみんなそのために預金をしてる、とか
 そういうちょっとしたところも考えさせられます。


◇買った本

*『甘藍派宣言』  荻原裕幸  書肆季節社
*『−20世紀の文学−世界文学全集35/現代詩集』  集英社
*「現代詩手帖」  1974/10月号  思潮社
*「現代詩手帖」  1980/2月号  思潮社
*「俳句」     1986/9月号  角川書店
*「俳句」     1989/8月号  角川書店


 荻原裕幸の第二歌集はもちろん『デジタル・ビスケット』にははいっているのだが、
 単行本としてはもっていなかったし、この歌集は『デジタル−』が初読だった。
 真っ白でA5だったとそのころのシンポの会場の販売のコーナーで見た記憶があった。
 今手にして見るとちょっと焼けているのかベージュがかったカバーの色で、
 版型ももうひとまわり小さい。記憶はあてにならないなあ。
 ただ私は荻原の歌集ではこれが一番好きである。
 処女歌集の必死さと若さのブレンド感、第三第四のくぐり抜けがたい箇所をなんとか
 くぐり抜けようとする、歌の身体のきしみや、酩酊に等しいとっぷりとした疲労は、
 既に短歌史の中にくっきりと足跡を残している。
 いつか知人の歌人と話していたとき、荻原さんでも誰でも、なぜこう同じ歌ばかり
 評論とかで引用されるのか、もっとほかの歌もあるのに、という言葉が向こうから出た。
 いやいや同じ歌が引かれる、というところがすごいのだ、といったニュアンスの答え方を
 私はそのときした。
 記号短歌(という言い方を私は好まないが)と言われる荻原の「▼▼▼」といった歌は、
 肯定否定を問わずいったいどれくらいの回数引用されただろう。
 自分より年長のものにも以下のものにも「▼」をPC・ワープロ・手書きを問わず、
 「歌の引用」として記述させてしまうことに、私は荻原の敬虔な悪意とでもいうものを
 感じずにはいられない。
 それに今は同じ歌が何度も何度もプリントされることは大事だと私は思う。
 私たちは今、「優れた韻律」がそのまま記憶への固着へとつながる時代に
 生きてはいないと思うからだ。
 第二歌集の話に戻ると、この歌集のフォントがあまり大きくないことも意外だった。
 フォントそのものはだから、荻原の歌集の中では『デジタル・ビスケット』が一番大きいのだ。
 しかしやっぱり単行歌集の「行間」「余白」の不思議な力の働きは、
 免れようもなくこの第二歌集にもそなわっている。


 ○ひるさがり街路を行けば巨いなるビルの影へと消ゆるわが影


 ○冬の雨やみたる街に目つむりて虹のかかれる音を聞かうよ


 ○いにしへは雲のはたてと呼びしもの漫然と見て冬のゆふぐれ
                  (『甘藍派宣言』より)


 『デジタル−』で読んだときには、後の方のムーミン谷ものに心惹かれたが
 単行歌集で今読むと、いいなあと思うのはこういう歌である。
 韻律が歌自体にやわらかい影を投げかけるような、そういう所がいいと思う。
 今は「韻律」がその作者自体をあらわす−作者自体へかえっていくように読む者に
 響かねば歌として成立しがたい時代で、そこにはそこなりのリアリティへの飢餓があるのだろう。
 歌に端正さを求めれば、歌にはいってくるものは自ずから限定を強いられる。
 その中でしかし、裏で目立たず叩かれているクラベスの響きが確かにあるような歌を、
 (古い歌ですがブレッド&バターの「あの頃のまま」で鳴ってるようなクラベスね)
 私は今好きなのでしょうなあ。
 『現代詩集』は1968年刊行の海外詩のアンソロジーの巻ですな。
 集英社では、この『世界文学全集』の次が、『集英社版世界の文学』になるんだと思います。
 いや別に文学全集マニアじゃないから、正誤は知りませんが。
 『集英社版−』の「現代詩集」の巻は「赤道儀」「マチュピチュの頂」「かわせみ」がいいなあ
 と思って当時読んでいましたが、これを見るとすでにここにオルソンの「かわせみ」が
 収録されていて、なんだー、そうだったのーと思って購入。
 この巻も編者は篠田一士
 なんだか世間ではこの手の海外詩の編纂者としての篠田一士に対して誰も何にも書き残していない
 気はするんですが、私は確かに恩恵を受けた一人ですけどねえ。
 「詩手帖」は古い方は岡井隆の「慰謝論」の8回目が載ってます。
 投稿欄のトップは、青木はるみでございます。ああ、74年。
 80年のは、新鋭詩人特集で、朝吹・松浦。大西隆志、倉田比羽子、崔龍源、吉田文憲ほか。
 投稿欄は、白石公子、飯沢耕太郎井辻朱美などの詩作品が掲載。
 選外佳作には、ぱくきょんみ、浅間幸、山西雅子、野沢啓。
 80年デスカラ! 27年前デスカラ!
 でも好きだったぜ浅間幸・・・「余力」とか。
 「俳句」は波多野爽波の作品批評鼎談の号と、茨木和生と爽波との対談の号。


◇買ってから、もちいどの通りの「珈琲一族」という喫茶店に。
 おお。いかにも。「喫茶店」というあの感じのテーブルと赤いクッションの椅子。
 ハムトーストと珈琲のセットで500円。
 「コーヒー店永遠に在り秋の雨」は耕衣の句。