薔薇(うばら)はみ降る花闇を宙返り/十代彩


◇タイトルの十代彩は、かつての「黄昏詞華館」の投稿者で、
 冬青社(宮入聖の出版社。この「はてな」のリンク先とは別のもの)
 から『鑛鐵の街』という句集を出している。
 私は未読。
 昨日の九鞠志保は、私より一年ほどずれて弘栄堂書店の「俳句空間」の
 投句欄に句を出していた(当時は)驚くほどの美少女。
 どっちもグーグルで検索しても一件もヒットしなかったので、
 なんとなく腹が立って(笑)あげてみた。
 ただ、思うのだがネットというのはある地点までいくと断崖のように
 そこから探しているものについて何のデータも得られなくなる場所である。
 当然のことだが、現実の、人々の記憶や事物とその総体の方が、
 はかりしれないほど巨大であることはいうまでもない。


◇買った本


*『編集者という病い』  見城徹  太田出版
*『MUNDIAL2002世界標準を越えて』 村上龍  光文社
*『方代』  山崎方代  かまくら春秋社
*「俳壇」  2006/8  本阿弥書店
*「俳壇」  2006/12  本阿弥書店


 『編集者という病い』はなんだか複雑な気持ちで読み進めてしまった。
 最後の頁になぜか吉本隆明の「その秋のために」からの引用が
 ぱんと載せられていた。それを見た私はつい声をたてて笑ってしまったのである。
 なぜかと言われてもぱっと答えが出にくいのだけど、
 しかし『転移−』の詩編からではなくて「野生時代」連載詩とか「薬草譚」とかから
 だったりしたなら私は別に笑わなかっただろうなあとは思う。
 書き下ろしかと思ったら数年間のコラムやインタビューをまとめたもので、
 私はこの人は一言で言えば「ポピュラリティの化け物」なのではないかと思った。
 尾崎豊をはじめとして多くのミュージシャンとの切実でのっぴきならない
 関係が、スピード感のある文体でまとめられていて、そこからし
 生まれなかったであろうベストセラーの秘話がいくつも語られている。
 とはいえ、たとえば本書中には浜田省吾に関する文章も載せられているのだが、
 浜田省吾というのは好きになるのにちょっとした「才能」のいる
 対象ではないだろうか。
 ポピュラリティの竜巻の中を食ったり飲んだりしゃべったりしながら、
 自ら上向きに階段を転げあがっていくように過ごした季節の物語は、
 熱くて、ひりひりしている。
 しかしその外はどうなのかなあ、と私なぞは思ってしまう。
 それはネットによくある「売れたもの」への嫉妬感もあるかも知れない。
 ベストセラー、が別に「世間」という見えにくいものの共有物とは言えないが、
 ポピュラーであることにそれ自体で価値があること、その上になりたつ
 ポピュラリティは、日本なら日本という領域の市場内の「共有」といってよいのではないか。
 そして「共有」があるところには必ず「排他」がある。
 しかしどこかに、「共有」と「排他」がなしくずしになるような領域が
 ありはしないのだろうか。
 というのが先述した私の「複雑な気持ち」なのだが、
 しっかし便利な言葉だな「複雑な気持ち」って。
 あとは読んでなかった郷ひろみの『ダディ』や石原慎太郎の『弟』を
 読んでみたくなりました。
 途中ああそうだったの、というような記述はたくさんあるんですけど、
 銀色夏生の本はある時期出せばどれも百万部売れていた、というのは
 驚かされる。
 それでも彼女の本には「世代」や「年齢層」を強烈に「選択」している、
 ものすごく大きな的をピンポイントで的ごと打ち抜いてる、という感触が
 あるわけで、そこが的にいない人に多少とまどいやためらいを与えるわけですね。
 そういう意味では実は銀色夏生の後継者は西原理恵子なんでは?
 と今書いていて思いつきました。
 村上龍のは「フィジカルインテンシィティ」の四冊目で、先日買ったものの次のやつ。
 北方謙三の「日向景一郎シリーズ」という剣豪小説は西村寿行を綺麗に丁寧に
 ブラッシュアップ(ああこれも便利なおことば。「Web2.0」みたい)したような
 文体で書かれていてなんでもっと売れないのか不思議なんですが、
 村上のこのシリーズの文体も一文が長くないことがそれだけで高い価値を
 持ってるようで私は好きなのです。
 (っていっときながらながいやんけーこの文)
 村上龍の小説はそれほど好きではないのは、単に私が「小説」をさほど好きじゃないからです。
 「力」であれ「心」であれ人には強い、弱いがあるというのは当たり前のことで、
 当たり前なんだけれど別に「弱い」は「悪い」ことではない。
 ということが全編を通して貫かれていて、それが次のような短い文を生むわけですね。


 「新庄のバットスイングはイチローに比べると悲しいほど遅い。」
                      (118頁)


 私は野球もサッカーもさほど好きじゃないんですが、この村上の本はおもしろく読めます。
 ぐああ、書いてたらもうこんな時間じゃん。
 『方代』はとりあえず安かったので。
 というかこの作りで税込み定価2100円はいくら復刻版といえどあんまりでは。
 ただキャラクター本っぽい作りではない「歌集」っぽさはありますね。
 「俳壇」は、「詩歌の潮流」という連載記事が8月号は吉本隆明、12月号は
 瀬戸内寂朝*齋藤齋藤じゃなくて齋藤槇爾だったので。
 瀬戸内寂朝が「あれから四十年近く経っているけれど齋藤さんは全く変わらないですよ。
 こんなに年をとらない人、見たことない。」と言ってますけど私もほんとにそう思いますね。
 しかもいろんな出版社がなくなっていくのに深夜叢書社はなくならなずに、
 たまに無茶な本(馬場駿吉『海馬の夢』とか)を作るというのがねえ。すごいですね。


◇短歌をいくつか作った。あとひとかたまり作ったら、サイトにアップしよう。
 岡井隆の「歌はくらべながら作る」というのは真実で、
 だから結局短歌を読み終えたときの感懐というのは、よいとか悪いとかではなく、
 「歌ってやっぱり(作るのが)難しいな」ということにつきるのかも知れない。
 でもそういう風に「難しいな」と思うとき、口元が、畑健二郎の『ハヤテのごとく』の
 4巻でハヤテが自分の学園に転入することを姉の桂から聞いたヒナギクのように、
 少し笑っているのですけれどね。

            (本日のBGM 「PERIDOT-RADIO」
             http://tink-bell.net/radio/radio.htm