折り畳むピアノ墓とすヴァレリィ忌/九鞠志保
◇「一作目の『人のセックスを笑うな』は売れた。でも二作目の『浮世でランチ』は
いまいち売れてない。なんでだ? 読者に対してサービスが希薄だったから?
ああ、売りたい。買って欲しいし、読んで欲しい。私はものすごく無茶苦茶な小
説を書いて、読んでる人の気持ちをぶっ飛ばしたいんだ」
(「ボーダーライン上でふざけたい」山崎ナオコーラ:「文學界」2007/3月号より)
なるほどねー。
◇読んだ小説
「母の発達」笙野頼子 「文藝」1995/秋号
「アウラ アウラ」松井雪子 「文學界」2007/3月号
◇いつだったか近所のブックオフに文芸誌のバックナンバーがかなり出ていて、
まとめ買いした。それをよく通勤時に開いている。
ミクシイで知人が書いていた「上原隆」という名前を「文學界」で発見したり、
(連載「胸の中にて鳴る音あり」)あ、このひとここにこんなの書いてたのか、
とかいろいろ発見があっておもしろい。
そうはいうけど文芸誌はやはり小説がメインなので連載以外のものは読んでみたりする。
本谷有希子の「ぜつぼう」(「群像」2005/11月号)とか
鹿島田真希の「ピカルディーの三度」(「群像」2007/3月号)とかも
読了はしたけれどなにをいったらよいのやら。
「現代思想」の特集号は棚にあるけれどそれほど読み込んではいない笙野頼子のものは、
「タイムスリップ・コンビナート」は読んだ記憶があるけれどどういう話か忘れてしまった。
「母の発達」は母が発達する話。単行本『母の発達』には三部作の二部として
収録されている模様。老いた母−女と、そう若くはない娘−女の二人が構成する
家族での母の「死」をめぐる「日本語」の狂騒と騒擾、といったらよいのかな。
「日本語」と書くのは、笙野は別に美文を書こうとしているからではないからで、
かといって「今そこにある言葉」が書かれているとも思えないから。
「抑圧」としてある言葉を「抑圧」として書こうとする、などと書くとそれは
それで「おなかが痛いよ」「じゃ正露丸飲めば?」といった意味のないフレーズ
にも思えてなんとなく空しいが、中盤からの五十音順それぞれの「母」の「お話」は
「女性としてこの世界に生まれ落ちてなお生きること」の現実味にあふれている。
読んでいるうちに「そもそも日本語というものは美しいとか美しくないとかいうのとは
もともと関係のない言語なのではないか」とさえ思えてきて、それはそれで「短歌」
もしくは「塚本邦雄」という「美」に関するパラメーターの大小が問題であった時期を
かかえもつ私には、せまってくるものはある。
松井雪子の「アウラ アウラ」はこれは素直におもしろく読めた。
中身を言うと小説の進行とともにあきらかになってゆく主人公の女性と胎内の赤ん坊の
関係に関する興味がうすれてしまうのだが、ま、いいかな。
これは想像妊娠の女性のお話である。
それが素直におもしろく読めたのは私なら私の妊娠に関する世俗的なイメージのリンク先が、
「不妊」「体外受精」といった人工的、もしくは形而下的な単語や事象に設定されているからだろう。
一種の自分自身の「生」の解決先として(もちろん解決するわけではないが)
「四度目の十月十日を控え、いまだ私の腹の中ですくすくと育っている」(22頁より)
赤ん坊がある、というのは、時代にそった屈折をもったすがしさ、があるのではないか。
なかほどからこの話は、たまたまネットカフェによった主人公の女性が、
同じように何年もおなかの中にいる赤ん坊との蜜月の月日をつづったほかの女性の日記を
みつけるところから(なんとなくこのあたりはミクシイっぽい)次の展開を迎えるのだが、
そこからは読みたいひとが読んでもらえればいいと思う。
検索をかけると松井雪子は漫画家でもあって、この「アウラ アウラ」で芥川賞候補になったとか。
まあとりあえず作者名はおぼえましたわ。
◇冒頭の山崎ナオコーラの文章は、その松井の小説がのってる号の「文學界」の
「日中青年作家会議」という中国と日本の若い作家のコンペのレポートから。
日程は2006年の12月23日〜24日。
「詩手帖」が今年のはじめに特集してた「日中現代詩シンポ」は
2006年11月20日〜22日。
意味はないけどちょっと並べて見ました。
◇「Twetter」というネットサービスにはいりました。
ネット初心者とはさすがに言えない私でも、
どういうサービスか理解するまで30分ほどかかりました。
説明はこちら。
http://www.greenspace.info/twitter/
「buransyo」という名前でログオンしてるので、
見かけたらフォローしてね。
◇この間買った82年のシンポの記録には
「公開鼎談−岡井隆*飯島晴子*清水昶(進行:佐佐木幸綱)」
というのがあるのだが、もー清水昶が最初から酔っぱらっててぐじゃぐじゃ。
それでもしっかり話す飯島晴子は見事。