「詩人」というのは秋山清さんとかのことですか。


短歌ヴァーサス11号、最終号が届いたので、
 簡単に感想などを。


◇作品では佐藤りえの一連がよかった。
 情景の多少の不可解さはあるものの、一首の韻律が、
 無形の「うた」をさししめす、霧のような祈りにみえてくるところがある。
 そこで情景そのものを起承転結の「起承転」にとじこめるかに
 歌の前においてしまって、


 *幸福でありますように ずぶ濡れの重い衣服を着たまま祈る
                  佐藤 りえ


 と「結」のように、歌うことができるのだろう。
 こうなると読み手の意識に、一首の「価−あたい」が左右される部分が
 大きくなる。すなわち評価がぶれるのである。
 まあそれはそれとして。


斉藤斎藤の一連の詞書きは、こういう言い方は特殊っぽくなるけれど、
 「幸福そうなさとう三千魚」のようですらっと読めた。
 さとう三千魚というのは昔の詩人で、別に不幸そうでもなかったけれどもさ。
 (さとうの「キャタピラー」なんかはそれでも名作だったとは思う)
 最近感心して読んでいる宮崎誉子の短編小説に
 「時給より高いランチは元気になる。」(「ビター・チョコレート」)
 という斉藤斎藤的な一文があるのだが、それでも斎藤の歌のなかのことばのほうに
 より「やさしさ」を感じるのはなぜだろう。


◇特集は「わかものうたの行方」。
 アンケートの好きな歌集名をあげる、では、
 永田和宏や三枝昂之、福島泰樹といった前衛短歌以降のかつての旗手的な
 存在が、そういう存在としてあった時代の歌集がまったくあがってこなかったのが、
 感慨深かった。
 私でも誰でも自由に自分で選択をして本を読んでいるわけだが、
 それでも時代の強制感からはなかなか自由になれないのではあるまいか。
 とはいえ「好きな」という問いかけにはかなり気分や感覚的なものが
 かえってくるだろうから、
 (自分がそのジャンルの実作者だと意識すると、
  回答は微妙に歪むのだろうが)
 あまり真に受け取るのも考え物かもしれない。


◇抽象的な話になるが、
 まず「幸福」と「苦悩」が同じ位相になる感覚の世界があって、
 これがベースとなる「混乱」を生む。
 その世界をもうひとつ大きくくるむもうひとまわり大きな世界において、
 「幸福」と「不幸」の座標が決められる、というのが、
 いま、のありかたではないかと思ったりする。
 なにも宗教的なことを言おうとはしてないんだけど。
 歌の作り手としての私はともかく、
 読み手としての私は、
 単純に読むことにより少しでも幸福の方に座標が動くような
 歌を読みたいものだと思う。


◇本日のリンク。

「一畳プラレール

一畳の世界に繰り広げられる超高密度プラレール
それをとりまくほのぼのライフにしばし酔いたまへ(なぜか旧かな)

http://star.ap.teacup.com/pettanesa/