えび入りお好み焼きの夢


◇最近の結論は、「近過去は快楽で、めざすものは叡知ではないか」
 というものだったんだけど、今ふっと自分の昔書いたものを見たら、
 飯田龍太が「大衆の叡知」と書いたものがあるけどそれはよくわからない、
 というもので、あなたこりゃ堂々巡りですな。
 いや二月になったもんでちょいと日記ぐらい書いておこうかな、と。
 「キル・ビル」vol1見ました。ビデオで。500円。
 「ロミオマストダイ」見ました。ビデオで。200円。
 「ウエインズワールド」買いましたが見てません。200円。
 キルビルは作家の殊能さんがほめてましたが、
 見る側に「映画」というものの種があらかじめないと、
 それほど感動しないのでは。
 そういう意味ではヒロインがちあきなおみ朝丘雪路っぽくて、
 ヒーローが微妙に加藤茶っぽいロミオマストダイのほうが、
 やたら音声の聞き取りにくい「火星のカノン」よりは見やすいような。
 佐藤優の『獄中記』、伊東乾の『さよなら、サイレント・ネイビー』、
 あと日経からの『超格差社会アメリカの真実』なんかも読みましたが、
 現在を解釈−説明するために近過去から書かれ始めるというのが、
 実はすなわち快楽なのではと思ったり。
 しかし、『さよなら−』はあんなに佐佐木正人だのプリゴジンだの
 出てくるのに書評や感想にまったくそのあたりの話が出てこないとういうのも
 なんだか謎。私は、昔電車の中吊り広告で見た、生前のプリゴジンの来日時の
 関西での講演かなにかを、あーやっぱりきいときゃよかったかなー
 とか思いましたけどねえ。
 それなりに現実的な意味での「友情」がメインのひとつなので、
 『さよなら−』の読後感は遠い昔の角川映画版の『戦国自衛隊』に
 ちょっと似ています。
 佐藤優は去年の「情況」の長めのインタビューはおもしろかったけど、
 『獄中記』は途中でちょっとあきてはきます。
 しかし「世界」でのあの柄谷行人との対談のつまらなさは、
 結局柄谷行人との「生の領域」みたいなのが違ってるから、
 話がからまりきらなかったということなのではないかいな。
 あと、佐藤優でも伊東乾でも大学時代の教授との交流が生き生きと
 書かれていて(ちなみにこれも作者の立場での一種の近過去)、
 岡井隆京都精華大学時代の回想の、
 「京都の大学の教授として学生と本当の意味での交流を持つためには
  京都に在住していなければならなかった」(だいたいこんな内容)
 というのを、あーほんとにそういうものなんだろうなあ、と重ね合わせたりもします。
 NHKスペシャルの関東のどこかの団地の、40代から50代の独居男性の孤独死を、
 60代70代の地域の人々がなんとかしようとしていたドキュメンタリーは、
 気合いを入れて見てしまいました。
 「ニート」とか「団塊」とかカテゴライズされないから、
 話題になりにくいというか、名付けようのない社会的な圧死とかも、
 同じようなものだとは思います。
 同じNHKスペシャルの「インドの衝撃」もおもしろかった。
 たぶん十年ほど前に買ったと思われる塚本の『十二神将變』も今頃読了。
 去年買った松本圭二の『アストロノート』はまだ読まず。
 実は署名本だったのは忘れていた上田五千石『風景』は、読んだはずだが
 こないだ読んだら感銘深かった。
 でも一月号の「現代詩手帖」の日中シンポでの記録内であまりにも感動的だった、
 辻井喬の現代詩文庫は、部屋の本棚を見たらあったので読んで見たけど、
 なんだか実直そうな人が書いた60年代詩のようでさほど感銘はしなかった。
 近鉄奈良の百貨店の古書セールでは阿木津英編の『短歌のジェンダー』を買った。
 紙田彰の『魔の満月』という書肆山田からそんな本出てましたか的な本も買ったけど、
 (このシリーズ背のとこ皮装じゃないの?)
 こういうひとは絶対今なにかほかのことをやってるんでは、と思ってネットで検索したら、
 やっぱり絵画かなにかをやってらして、その詩集も全部ウエブで読めるのだった。
 いただいた本のことなどはまた今度。
 牧野修の『傀儡后』は最初よかったけど個人的には最初のゴスロリバトル部分が快感。
 畠中恵の『ねこのばば』は最後の謎かけの絵解きが、ジェンダーとかミクロの権力と
 言われてもそれなりにせつない。
 桜庭一樹も小説版の「デモンベイン」も買っても読んでもいませんが、
 そのうち買ったり読んだりするのかも。
 あと「アイシールド21」の三巻の真ん中あたりのセナの泣く場面でうーんと
 思ってしまうのはやっぱり私が馬鹿だからなんでしょうか。
 そんなところでー。2月4日の京都の社会詠のシンポは聞きに行きます。
 ひさしぶりにレポートは書いてアップします。ではでは。