月曜日通り


◇ほとんど目が見えなくなった父を病院に連れていく。
 注射と軽い診察だけだからすぐに終わるが、
 このごろますますちょっとしたことで怒り出すようになってきたのが
 やりきれない。


◇買った本

ヤスケンの海

ヤスケンの海

アソシエ (第5号)

アソシエ (第5号)


 別に画像リンクはらなくてもいいんだけどね。
 村松さんの本は幻冬舎文庫でも出てます。
 「ヤスケンの海」はそののちに喫茶店で読了。
 安原顕のことを村松友視が書いた本。
 ひとの視点でこういう風に書かれると、
 スーパーエディターとかはともかく、
 ああ、この人は一生懸命生きてたんだなあ、という
 至極単純な思いが湧く。
 様々なことをなしとげたり、なしとげなかったりしても、
 結局残っていくのはその「一生懸命生きた」ということなのかも、
 と思ったりもする。
 それでもなんとなく「本」作りに携わった人には、
 過剰な哀惜が投げかけられるような気がするのは、
 私の考えすぎか。
 この本ではあまり触れられていない「海」の塙編集長のことを、
 もう少し読んでみたいものだと思う。
 あと安原が若いときにお金がなかったから本やその他のものを万引きして
 生活してたという記述が本人の文章からの引用として引かれてるけど、
 万引きするんなら泥棒してその金でものを買って欲しかったなあ、
 というのが若いとき何年かレコード店で働いた私の個人的な感覚。
 数回捕まえたりもしたけど、なんかこちらが働いて生きていることが
 馬鹿らしくなるような気になるんですね、あれって。
 なんだかよくある自分の気になるとこだけ引っかかる本の感想に
 なりますが、それはそれでいいのかも。
 大江健三郎の事件の顛末は、くわしく書かれていて、それはそれで納得。
 私の漠然とした不満の理由は、本書にも安原顕の軌跡にもほとんど詩歌の
 関係者が出てこないことなのかも知れない。
 そんなに「小説」というのはおもしろいものなのだろうか。
 (以前に読んだ安原の本では、田村隆一に詩を依頼したり、誰かの都会っぽい詩を
  ほめていたような記憶はあるのだが)
 「アソシエ」はこんな雑誌を初めてみたのでつい買ってしまう。
 特集はグローバリゼーションとジェンダーで、巻頭対談は
 上野千鶴子足立眞理子
 二冊とも奈良の古本屋のフジケイ堂で。
 たぶん、ここって読書好きの人に記憶される古本屋になることは
 ずっとないだろうけど、「つい」変な本を買ってしまうような気には
 させるところがあるのです。
 ちょっと前にさらっと並んでいた、ランボーの詩集や研究書の原書(!)
 は値段がどれほど的確はわからなかったけれど、
 いつの間にか売れてなくなってました。
 まあそれぞれの本はそれぞれの人に、ですなあ。
 あ、そう言えばゴーメンガースト三部作が三冊で600円だか700円だかで
 ここでは販売。
 でも安いからって読める本ではないわねえ。