ファビュラス・サンドイッチ・ボーイズ
- 作者: 枡野浩一,河井克夫
- 出版社/メーカー: リトルモア
- 発売日: 2006/12/04
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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戴きました。ありがとうございました。
ということで後半分のマンガと対談のみ読了。
いやー枡野さんの本ほめてばっかりいてもしょうがないんだけど、
「Esナシム」とか「五七五定型」とか「映画秘宝VOL26」「VOL40」
とか増田彰久−塚本邦雄「建築紅花青鳥図」とかみんなとんじゃった。
あ、「短歌ヴァーサス」も来ました。
白眉はなんといっても河井克夫さんの「あとがき」で、
そこにはこの本は「河井克夫とともに探る、枡野浩一研究読本」だと
書いてあって、ほんとはニセ双子ユニット本であるこの書が、
どうしてそんなかたよった本になったかは本書をひもとくとわかるわけです。
ルポライターの藤井良樹さんの文章も引用されていて、
この藤井さんという人は90年代中頃に「ジャナ専・フェラチオ公開講座事件」
というのを起こした人ですがそんな昔のあなたの中の岡野弘彦がおぼえていそうも
ないことなんか、あなたの中の三枝昴之がおぼえてるわけがありません。
でその藤井さんが「マスノはその(エキセントリックな)言動で、自分の
周りの人間をすべて(マスノ研究に携わる)マスノ学校の生徒にしてしまう」
と書いていて「結婚失格」に収録されてる穂村弘の文章も、
全くその通りだ、としかいいようもないもので、やっぱり激しく世の中を
生きてる人の言うことはときに正しいこともあるものですな。
でもよく考えると斎藤茂吉について書いてあるこの世の本のほとんどは、
「岡井隆とともに探る茂吉読本」だったり「田中隆尚とともに探る
(またマイナーな人名を)茂吉読本」だったりするわけで、
そういう意味では様式や形式はサブカル雑誌風だけど、
割と本質はなじみ深いもののようにも思えます。
とにかく河井さんが「ほっといたらこの人はどれくらい自分の話を
するか、いっぺん試してみよう」という思いをもって行った
12時間対談のダイジェスト&手書き文字による註とも校正とも
つかないものは圧巻で、いつも指向性が斜め上方を向いてるような
2006年ごろのTV番組のうっとうしさから肉体が確かに解放される
ような感覚は持ちますね。
ところで私はなぜか河井さんのマンガを読むと、「うまいなあ」と
思ってしまうのですが、これはなぜかなあ。
ひとつには視覚的な快楽−フェチを結構河井さんが「気にしないで」
マンガを描いていて、そこでは骨格のようなマンガの「技術」だけが
残存するからでしょうね。
森川嘉一郎は、手塚治虫について「ディズニーのポルノグラフィー化」
という視点を提出していて、それはそれで国産の現在のマンガを呪縛と
いうよりは細胞の一個一個にまで刻み込まれたジーンみたいになってる
わけですが、そういう意味ではそこから自由というか「気にしないで」
というか、マンガを描いてなおかつ食べていくというのはえらいもんだ
とも思いますね。
「ファミ通」の町内会という投稿頁でマンガが載ってる塩味電気とか
ああいうひともそうなんだろうなあ(「気にしない」という点で)
とは思いますが、投稿の感覚だと、
無意識によるナンセンスの高度さの競い合いはあっても、
「技術」として作者にかえって行くものがない虚しさというものは
読者にどうしても残るんですな。
短歌の話につなげるわけじゃないんだけど、ねばりつく「投稿」の感覚を、
短歌作品がどう乗り越えていくのかというのはそういう意味では
将来的には大事なことなのかも知れません。