白鯨のメッセージ


◇読んだ本

神の子犬

神の子犬


*「Mobaile Society Review 未来心理」Vol1〜7↓
http://www.moba-ken.jp/activity/msr/index.html


 郵便受けには二つの封筒。
 ひとつは「Es12号」でもうひとつは小池正博さんと野口裕さんの
 二人の同人誌「五七五定型」創刊号。
 今日も図書館に行く。
 去年出ていた藤井の詩集を、今頃読む。
 「絶叫する神の子犬」。
 「聖獣」。
 くりかえされる「学校」のイメージの「ずらし」は、人間の都市の中で、
 そこだけが「生」のざわめきがする場所に見えてくるように書かれる。
 「戦争」をどうするのか。
 「戦争」で死ぬ人より、普通に死ぬ人のほうが多いはずなのに、
 「戦争」の「死者」に相対さなければその「生」から誠実さが失われる
 という圧迫感が生じるのはなぜか。
 沈黙の絶叫。
 藤井のこの詩集での魍魎は、石田柊馬の句集の「妖精」と遠く響きあって
 いるのだろうか。
 「幸せ」と「道徳」と「秋」と「水」に微分されるいちにんの名前。
 ことばあそびはそのまま生きることのかそかな悲鳴のようだ。
 詩は、「私詩」だ。
 自らの「ほんものの生」は記憶の集積、体験の騒擾、身体の羞恥。
 体験は語られなければならない。
 身体は運動しなければならない。
 ならば、記憶は。
 記憶とは何か。
 「詩人」の記憶とは、何か。
 本詩集の作品のいくつかは「ミて」に発表されている。
 たとえ松井茂がこの先死ぬまで「方法」の詩人と呼ばれようと、
 私にとっての彼のマスターピースは、「ミて」の古い号に発表された、
 万葉集を引用した苦し紛れの詩の一編だ。
 私はその詩を読み、ほのかにそして馬鹿らしく、
 メガドライブのソフト「ジ・ウーズ」のラベルに印刷された
 万葉歌を連想した。
 折口信夫の墓に供えるとしたら、このソフトのほかにありえまい。
 それでも「詩」の世紀は続く。
 「詩を書き続ける」ことがまかりまちがって産み落とす、
 「詩が書かれる」瞬間のため。


◇まあそれはそれとして。
 「Mobaile Society Review 未来心理」というのはリンク先をみても
 わかる通り非売品のNTT関連の出版物といっていいでしょう。
 創刊号はビジュアル的にもPR誌といった感じですが、
 リニューアルしてからは執筆者の写真をモノクロでまるまる一頁で
 レイアウトするなどクオリティの高い「天から振ってくるお金」の
 優雅な匂いのする雑誌になってます。
 森川嘉一郎宮台真司の連載、「カーニヴァル化する社会」の鈴木謙介
 しっかりフィーチャー。
 大洪水のような本屋の棚の新書の氾濫に、
 取り残された路線バスの屋根に登って救助を待つことになった君に、
 何の役にも立たないけれどああ、あの本屋で毎月「コミックメガストア」を
 買っていたのになあ、と思わすくらいには見えている
 たそがれた書店の看板のように、出版物の水面にぷかぷか浮かんでいるようには
 見えますなあ。