式部と武尊
◇今日も雨。父が病院へ行く日なので実家に行こうと
思ったら、来なくていいよと母から電話。
まあそれならば。
◇またスーパー銭湯に行こうかと思って国道24号線をくだる。
新しく出来ていた(というか新築した)喫茶店「ぷろばんす」に
気が向いたのではいってみる。
おお広い。明るい。きれいはきれい。
で、メニューは?
おお、こうるさい。
コーヒーにいちいち漢字二文字の名前をつけてある。
玄武だの白虎だの如月だの弥生だの
こざかしいんだよてめーはよ。
てなことはいわずにブレンドの「麒麟」を頼む。
ブルーマウンテンは一杯1200円。
いっぱいの〜コーヒーで〜
ほぼ「現代詩手帖」が買えることもある〜。
ま、でもそれなりに静かで、窓の外には庭園も作ってある。
でもあの石灯籠でっかくないかなー。
トイレは・・・
女子用のドアには「式部」。
男子用のドアには「武尊」。
ちょっと角川春樹っぽいですか。
◇ということで持ってきていた「岡井全歌集3巻」「4巻」をひらく。
雨も降るのにそんなものをリュックに入れてるなんておバカさんでしょう
わたしは。
先に『神の仕事場』読了。
続いて『親和力』読了。
夕べのうちに『天使の羅衣(ネグリジェ)』の残りをよんでたので、
とりあえず3巻は読了というわけ。
イメージを凝縮するというよりは身辺のスケッチに警句や感懐をうまく
織り交ぜるといった歌風なので、読み進めるにはつらくはないが
ひっくりかえせば異様に知的ではある。
まあ「おまえの読みが浅いのだよ」と
いわれればそれはそうなのだけれども。
瞬間的におぼえてしまったような歌は一首もないけれど、
それはそれでいいのではあるまいか。
ただやはり「歌集を読む行為」というのは普通の本を読む行為と
同等でいいのかどうか。
ユリイカの高野文子特集で、高野文子は
「本を読むってことは、馬鹿を治すために読むものだ
と思っているところがあるんですよ」(p68〜p69)
と大友克洋相手に語っていたが、どうかなあ。
ただ自分の中でどうしても岡井の旧作の「まっすぐに生きて夕暮」とか、
ああいう歌を今読んでいるそれ以降の岡井の歌が越えて行ってくれないというのは、
ほほえましいかなしさを感じずにはいられない。
ではなぜ私は今こういうものを読んでいるのだろう。
実に考えても詮無いことだねぇ、それは。
◇結局そのまま喫茶店からかえって、
自分のホームページのメンテをする。
一年近くさわってないので、
FTPのパスワードがはいってる古いハードディスクを
さがすところからはじめるという段取りの悪さよ。
でもまあ、なんとかトップページを更新。
フリー素材の、年度前の年賀状ソフトの本でもないか
と途中でブックオフまで行く。
結局そんなものはなかったけれど、
「フリースタイル」と「マガジン・エルフィックス」の古いのが
あったので一冊ずつ買う。
「フリースタイル」のやまだないと・よしながふみ・福田里香の
少女漫画座談会では、はじめに「巴里夫が」とか言い合っていてさすがに
うっとなる。別に涙腺を刺激するわけではなくて、そんなのすっかり
忘れきっていても、絵柄がふっと浮かんできたからである。
海外ではPS2ソフト「ルールオブローズ」が大変らしいが、
(あれは絵柄があちらっぽいので過敏になるのだろうが)
「エルフィックス」なんかみてると日本の本屋ってなんでも
売ってるよなあ、と思ってしまう。
結局、トップページの写真は古いはがきソフトの素材からえらぶ。
あと歌のページとか作ってリンクはって出来上がり。
http://homepage2.nifty.com/masaoka/index.htm
でも8年もたってるから、最近見たひととかにはわかりにくいよなあ。
うーん。まあ、また考えよう。