ウオーズマンよ、永遠に。


◇頂いた本

*『あるきかたがただしくない』 枡野浩一 朝日新聞社
*「Es紅馬」11号


◇二冊の本が同時に届いて、開いているとその濃厚な感覚に耐えられずに
 思わず風呂の支度をして歩いて十数分のスーパー銭湯極楽湯」まで歩いて
 はいりに行ってしまった。
 単に風呂にはいりたかっただけではないかという説もある。
 何が濃厚なのかというと、枡野さんの本においては、
 やはり「関係」の濃厚さだろう。
「Es」の方は短歌との関係が同人それぞれ個人の内部に於いてこれほど
 濃厚なのにそれぞれの掲載されてる短歌作品の韻律からは濃さの頂点の感覚が
 あまり感じられないということで、別に戴いてるだけだから私には何の関係もないと
 いえばそれはその通りなのだが、果たしてこれはひとごとなのか、と不安とも疑心とも
 言い難いものがこころに湧くのはどうしようもない。
 さて枡野さんの新刊は、シンプルな黒と金のカバー画で、
 センスの良さといえばそれまでだが、
 余白の使い方は、石川九楊をして見ているうちに「戦慄さえ覚えた」と書かせた、
 伊藤観魚の絶筆(石川九楊『書と文字はおもしろい』新潮文庫版89頁図版)
 を思わせるところがある。
 ここでハッピーマウンテン2号掲載の梅本直志短歌作品の「レイアウト」と
 島なおみのここ三年ほどの群作発表作品の「レイアウト」の差に触れたいところだが
 今は先を急ぐ。
 本の内容は昨年一年間の週刊朝日の連載コラムを中心に、
 いくつかの同時期の他誌の連載を
 取捨選択しながら収録したもので、そういう意味では『日本ゴロン』とよく似ているはずなのだが、
 印象の方はこちらのほうが遥かに重く、重いのにある部分ではわかりやすくなっている。
 わかりやすさは、途中にはさまれる映画に関する対談コラムでの素材の映画をはじめとして
 人名や映画の題といった固有名がサブカルチャー(うーん・・・この言い方にもぴんと
 こないんだけどさ)と枡野さん周辺の関係者や周辺のものにほぼ限られているところから来る。
 現代詩や現代短歌の読者の構成する概念上の円とそれとは全く無関係に日々を生きる人々が
 構成する概念上の円とのあるかなきかの重なりに置かれているとも言える
『日本ゴロン』のいくつかの文章よりはわかりやすいんですね。
 カフカの『城』をも思わせる「別れた妻に引き取られた子供」へのたどり着けなさや
 手の届きにくさは、濃厚な枡野さん自身の現実生活の内側から書かれていて、
 ときに反省し、ときに理不尽に怒り、しかし自分のセオリーやノーマルな思いやりの感覚から、
 ゆきつもどりつしつつ、どこまでが自分の部屋でどこからが路上なのかわからないような、
 濃密な風景を東京の下町に作り上げてゆく。
 2004年から2005年にかけて書かれたにも関わらず、その当時の時事的な側面はほとんど何も
 出てこない。ただ、「どこまでが自分の部屋でどこからが路上なのかわからないような、
 濃密な風景」のなかでの「幸福」といってしまってはいけないのに「幸福」というほかはない
 何ものかをめぐって、少しゆるめの服を風にふるわさせながら、あちらこちらをビリヤードの
 球のように幻のサイドポケットに落ちることを願って跳ね返り続ける一人の三十数歳の男の
 姿があるばかりである。
 それでその跳ね返りなりなんなりと君が言うところのものは、果たして読んでおもしろいもの
 なのか? と問われたとする。
 確かにおもしろいといえばおもしろいのだが、そういう言い方よりも、ただひたすらに、
 濃厚だ、といったほうが正しいように思う。
 そして私を真夜中の風呂屋まで歩かせたものは、ここ数年の私自身の現実の生活にそういう
 濃厚さがほとんどないという疎外感も確かにあったに違いない。
 ところでここ数日私はmixiではなくGREEで日記を書いているのだが、
 GREEのプロフィールのキーワード登録という項目で「枡野浩一」を検索すると、
 「実はかなり好きってことに最近気付いた。」とか、
 「最近彼が大好きなことに気が付いた。」
 といった短いコメントが目についたりする。
 なんで最近なのかはよくわからないが、それでも彼の本がいつでも「自叙伝」ではなく、
 途中という意味での「自中伝」とでもいう相貌を持っていることを思うとき、
 そうしたタイムラグ性が読者の気持ちを一番伝えるかもしれないなと思ったりする。
 あともうふたつほど。
 吉本隆明はその若書きに
 「精神は限りなく開かれたところで現実に出会い、限りなく閉じられた
 ところで神に出会う」という断章を残しているが、ひょっとしてもうひとつぐらい、
 わたしたちの生活には「限りのない場所」があるのではないかとこの本は思わせてくれる
 ところがあること。
 もうひとつはえーと、あ、最後の河井さんのマンガは、とてもおもしろかったのですが、
 これは河井さんが、「コミッカーズ」でも読んでないと最近はわかりにくい
 (昔は別マやlalaのまんがスクールとかの講評を斜め読みするだけで結構
  そういうことが書いてあったんだけどね)
 まんがの基本作画(特殊な語尾を持たすことによるキャラのかき分け、フキダシの配置がそのまま
 構図やカメラの移動をナチュラルに導く等々)を非常にうまく使えるひとであるというのも
 大きいと思いますね。
 だからまあ何にだって技術はあるわけですよ。
 そういう意味で「Es」に帰ると、うーん短歌の今における技術ってなんなのかなーと
 考えちゃうんですけどね。
 というようなことで。枡野さんの今回の本は鮮度が鮮やかな本だと思うので、こころあるひとは、
 早めに買って読みましょう。1500円+税で絶賛発売中です。