「塚本邦雄の宇宙」

◇買った本


現代詩手帖特集版「塚本邦雄の宇宙」詩歌玲瓏  思潮社 2400円+税


さっきの日記を書き終えて、ちょっとウエブのリンクをたどったら、
九月発売とかいってた詩手帖の塚本特集号が出ている模様。
さっそく十時まで開いてるイトーヨーカ堂くまざわ書店に行く。
ありましたー。
こういうときは、きちんと贈本されるひとがうらやましいですわね。
値段に一瞬ためらったけどやっぱり購入。
さすがに気合いのはいった装幀。
最初のが、小池光さんが自分のblogにも書いていた座談会。
篠弘がお葬式の祭壇とかについて書いていて、あ、見ていてよかったな、
実際の葬儀会場、とかちょっと思った。私なんかまだ貧相だとちょっと思ったけどな、
祭壇。まあそこはひとそれぞれで。それにしても東京の火葬場は焼く窯がいくつあるんだろう?
焼き場がいっぱいのときは、電話してほかの近くの自治体の焼き場まで行く、
というのは奈良でもあることですけどね。
あとはえーと、やっぱり死なないとなかなか話せなかったり、こういう機会でないと、
わざわざ言うということになってなかなか言えないことってあるよなあ、というような
内容で。塚本さんが生年を二年ずらしていた、というのは某若い歌人から数年前に
はじめて聞いて、私はそれまでは知りませんでした。
内容的にはほぼ岡井さんの言うとおり、中井さんの線引きなんでしょうね。
あと『歌人』以降への評価の出にくさというのも相変わらずだけど、
『されど遊星』あたりからの歌の娯楽性というものは、
私はいまでも惹かれますけどね。
「海は巨いなるあぢさゐのまひるまに滅びのこれるものほろぶ」とかの
スペクタクル主義と言いましょうかね。「いやそれも本歌はこれだよ」
とか言われたらそれは私にはわからないんですが。
追悼文では北川透のものとか単純に、ははあ、そんなこと考えてたのか
と思いますな。
坪内稔典と小澤實が塚本の同じ俳句をとりあげて、評価が違ってるのもおかしい。
ていうか坪内さんの方が正直だと思う。
私はあんまり塚本さんの俳句は出来がよくないと思いますけどね。
なんかきりっとしてなくて。
飯田龍太の高評価は、謎といえば謎ですが、
これは俳人の俳句と基本的に思ってないからじゃないでしょうかねえ。
角川春樹の俳句も似たところがありますね。
それにしても荻原裕幸の追悼文がこういうところにないのは
なんともさみしい気がする。
島内景二の「序数歌集解題」は「未定・安井浩司特集号」における金子弘保の
著作解題を彷彿とさせる、パッションのこめられた文章だけど、
こめかたの方向が金子さんみたいな方向ではないのでちょっと「ガニメデ」の
編集後記してるところもあるような。
そんな今だって手弁当で結社誌の編集の手伝いやらなんやらやってて、
分厚い特別号ができあがったら抱き合って泣いてるようなひとたちもいるんだからさあ、
そんなに「ケータイ短歌」とかネガティブに言わなくてもいいと思うんだけどなあ。
野口雨情なんか詩と抒情小曲と創作民謡とかが同居してたわけでしょ。
そういう「時代」が遙か過去になったからといって、
その「呪い」は消えないんじゃないのかな。
えーと、最後になんかこの本を買って葉書で申し込むと、なんか
定型詩劇「ハムレット」の新版をただでくれるそうです。
えー?
なんでー?
全集にもはいってるし、稀覯本なんていうけど四千円くらいじゃないの、
古書でも。
「おそろし/花咲く/ときは木」
とかサインしてあるんだよね確か。
くれるんだったら「玲瓏」が出る前に出ていた「玲瓏信」を全部復刻するとか
ですね、三種類あった塚本邦雄便箋をくれるとかですね、
(昔ひとからこの便箋で手紙もらってなんちゅー便箋やとびっくりしたよ)
あと風呂敷という名前ではなかったけどどう見ても塚本の歌が一首はいった
風呂敷にしか見えなかった例のものとかですね、
そういうものをくれたほうがうれしいんだけどなー。
でもとにかくよく出来た一冊ですね。
あとは値段が安ければもっとよかったです。