「肝心なことをいわない人ね」
◇急に思いたって三月書房に行く。
あるだろうと思った本は売り切れでなかった。
しまった。電話で在庫確認していけばよかった。
でもまあとりあえず買おうと思っていた、
- 『山田富士朗集』 現代短歌文庫57
- 『小中英之集』 現代短歌文庫56
を買う。さらに、
などを買う。
◇京都プラッツの駸々堂ならあるかな、と、地下鉄で戻って
のぞいて見るがやはりない。ふらふらと、
- 『前衛短歌運動の渦中で』 岡井隆 はる書房
を買ってしまう。回想録、三冊目しか読んでなかったんだよ。
そのあと同じフロアの英国屋でアイスコーヒーで、
半分ほど読了。以前に荻原裕幸の日記の過去ログで言及していたのを
読んで気になっていた、「前衛短歌とニューウエーブを比べると」という
章をやっと読了。そうかー、当時(1996年夏ごろ)はこう見えていたのかーと納得。
そのころ私は「シカゴ」でパチンコをしていた、のではなくて、
うーん、何してたんだろ?
◇京都までの電車の中では、ずっと、
を読んでいた。
この本は「買い」である。
セレクション歌人シリーズこれまで出た中で、いい悪いはともかく、
「買い」はこの鈴木のと、森本平のとの二冊だと思う。
つまらない歌を書いてそれをあれこれ自分でいじくりまわしているようなひとは、
とっととこの鈴木の本を買って読むといいと思う。
これを出した邑書林も、藤原龍一郎も、谷岡亜紀も、そしてこの本も、
「立派」だとぼくは思う。
そしていまだに「立派」という価値観を「本」において提出出来る、
この作者に、敬意を表する。
◇かえってから小中英之の年譜を見てると、
目閉づれば胸扉しづめの影としも白鳥ありぬ連れ立ちて翔ぶ 山田あき
(表記曖昧)
という歌について「白鳥ありぬ、までは歌える。連れ立ちて翔ぶ、とは
歌えまい。」と印象的な評を書いていた山田あき論の発表が、1978年の
角川「短歌」四月号と書いてあって、掲載誌でこれを読んでるはずの私は、
えっ、そんな早かった? おれ16歳じゃん? といぶかしんだ。
塚本邦雄全集の年譜をひいて納得。この1978年の四月号は、塚本邦雄の
百首詠ほか馬場あき子・岡野弘彦・片山貞美・三国玲子の百首詠が載ってる
豪華な号で、これを私は1980年頃古本屋で買って愛読してたのであった。
年譜には晩年一人のくらしであった小中が、死の二日後に発見された、と
いう辺見じゅんの文が引用してあって、ああおれも今部屋で死んだらこんなかな、
とかふと思ったりした。