水中翼船と死

◇読んだ本

書影とリンクは「はまぞう」というシステムがあるのでそれを「はてな」で使うと
オートでリンクが貼られることになる。便利。
いま探せないのだが、別の本で吉本隆明がビジネス書について言及した文章があった。
「どういう本をビジネス書というのか」と誰かに吉本が問いかけると、
「ビジネスマンが読むのがビジネス書でしょう」という答えが返ってきたという。
そして、吉本自身も「自分の本を読んでいる半分以上のひとがビジネスマンだから、
自分の本もビジネス書だ」と、うろおぼえなのだがそういうくだりの文章である。
ということで青春出版社からの本書は、一種の人生啓蒙書みたいな、半インタビュー本。
「半」というのは、編集者による短い質問に、吉本が答えるかたちで、本が作られてるから。
インタビューではないので、質疑応答というのではない。
質問は、


「転職者には、年齢制限がつきものだが、年輩者の能力は活用できないものか。
リストラや倒産で失業したサラリーマンの行方は・・・。」


というようなもので、これに対して役にたつようなたたないような回答を
吉本さんがするというものですね。
たつたたないと私が言うのはそれはひとそれぞれだろうと思うからで、
あと「現実的な解決」というのはいつでもこうした言説に先行するものだろう、
とも思うからですね。ただおもしろいところや考えたくなるところはもちろんいくつか
あります。
ひとつは、いわゆる「文化人」の層を「高等遊民」という言い方でくくって、
そのマイナス面を引き受けながらなおポジティブに語るところ。
「学生」というのは広い視野をもてる、就職して職業人になると、その視野は
喪失される、広い視野を失わずに一介の町工場の勤め人に終始する方法はあるのか、
一生懸命考えたが、「結局」わからなかった、というところですわね。
これは私なんかもほんとにそうですね。
これの前に読んだ倉坂鬼一郎さんの『活字狂想曲』も、やがて一級のホラー作家に
なるひとがいかに印刷会社の校正の現場でもがきながら生きたかということの
記録みたいなもんですわね。
ましてや私なんか「学生」であったことすらないので、なかなか「空論」の
ない世界というのか、そういうのにはいつまでたっても慣れないですね。
広い視野、というのを形而上学、と言い換えてもいいんですけど、
生産性の低い仕事の現場、たとえば大阪市第三セクターの「フェスティバル
・ゲート」という屋内遊園地で、警備員の人件費だけですでに収支が赤字になる、
なんて場合は、警備員なんてそこの現場で何も生産してないということに
なりますわね。そういう場所では、ひとは形而下というか、些細なことプラス
そのひとそれぞれの嗜好、みたいなもので、現場が組み合わさってほとんどの
事象が流れていくというかですね、そうなるわけですよ。
「短歌」どころじゃねーなー、とかなりますな。
しかし、私がこういうことを書いたとしても、
「それはお前さんがそういうところから脱出する努力をしてないからだよ」
という視点も、充分それは正しいわけですけどね。
あと、「物書き」の吉本隆明さん自身としての「超資本主義」下における「不況」に
対応する方法として、「ひとつしかない」といってます。「内容の程度を落とさないで、
易しい文体表現を工夫して試みること。それだけの能のない話です。」がそれ。
こういう部分では、やっぱり笹公人さんが今一番えらいですよね。
枡野浩一さんの方が、「首ククレカレー」の歌みたいに「世界憎悪」を読者が
読みとらないと本当に読んだことにはならないようなものになって来てるので、
その分難易度が高いような気はします。
そういうお前はどうなんだ、というのはねえ。
極端に言っちゃえば、車の値段ぐらいの歌集作って、それが300部なら300部完売する、
とかいうのが一番いいような気がしますね。
車つけてもいいですけどね、フィギュアつけるみたいに。
実際にそんなことするわけではないので、真に受けてくれなくてもいいですけどね。
「形而上」の話としては、そういうもんなんじゃないのかなあ。うん。



◇こちらは「はまぞう」でも出ない読んだ本。



*『セレクション歌人1・一ノ関忠人集』 邑書林 



邑書林から大きなメール便で三冊セレクション歌人が。
夜勤明けで帰ると、ポストにはいらなかったみたいで、マンションの扉の横に
地面においてたてかけてありました。前に永田耕衣さんの全句集とかもこうして
あったんだよねー。よくなくならなかったものだわ。
ひょっとして誰かからいただいたものでも受け取れずに無くなってるのかも
知れないが、こちらも知りようがないのでもしそうでも謝ることすら出来ないわ。
全冊予約してるものなので、一眠りして近くの奈良市役所郵便局から三冊分代金送金。
ミスタードーナッツでアイスコーヒー飲みながら一冊読了。
ほー。
一ノ関さんというのはまったく知らなかった人。
岡野弘彦さんの「人」にいた方だそうです。
この本には、第一歌集『郡鳥』全作品(完本というのではない)と第二歌集『べしみ』
からの抄出と、長歌を収録。
第一歌集は実際の本人の父の死というのが全編にわたってのテーマ。
歌自体は、現実と結婚してるだんなさんの歌みたいで、夫から見た妻の形相みたいな
ものとして、現実が背景に横たわってるような歌で、こういうことが出来るひともいるんだな、
と感心。結局それは私から見ればひとつのフェティシズムなんだけど、それは
私から見た視点であって、たぶん本人はこれをフェチだとは思っていないだろう。
だから作品に高度の倫理性が出る。
そこには「エヴァンゲリオン」みたいな高度な非宗教性があるんじゃないでしょうかね。
神がどうしたとかあれだけやいやいいっても「信仰」は問われないというかね。
だから「エヴァ」は「エヴァ」で作品に高度の娯楽性が出るんですね。
読みながら、あー、何千年かののちに、土星人の父と火星人の母を持つ金星人の女性を、
妻に迎えて、京都の祇園祭を見に行ったらこういう一ノ関さんみたいなひとは、
そういうことをストレートに歌にするんだろうな、現実っていいな、とか
ぼーと思いました。
私自身の父とは「父」像が当たり前でしょうけどかなり違うので、
(うちの父は昭和九年生まれ。天皇に関してはあれは2000年の無駄飯食いだ、
などとは言うが、それは別に言うだけで政治的にも思想(!)的にも無色である)
父親と法隆寺へ行く、という一連などと言うのはファンタジイに見えるわけですが、
別にこれはリアリティがないというのではないです。
付箋をつけた歌をいくつか。

  • 昔むかし戀に死にける男ありきカフェ・カプチーノ咽喉(のど)灼く熱さ

(カフェ・カプチーノってとこがいかにも「現実」)

  • 音かすかに遠花火ときをりひらめきたちたけみなかたの諏訪の夜更くる

(これは単純にいい歌だと思います)

  • 樫鳥縅(かしどりおどし)の鎧に胡座(あぐら)居(ゐ)る惟任日向守(これたうひゅうがのかみ)明智光秀

(記述的文体に見えて作者の屈折や屈託やヒロイズムが韻律を支配している秀作)


あと「靖國」の字を正字でを使った歌があるんですが、これを「靖」で表記して
引用する気にはなれないのでそれは記しません。
「戦後」というのは戦争論の時代のことで、それはそういう意味でのみは、
今も戦後だとぼくは思ってます。ただ、たとえエイズで何百万人が死のうとも、それでも
アフリカのある識者の層に取っては、20世紀を「戦争の世紀」とはいわずに「解放の世紀」
と呼ぶわけで、
(それは「アフリカ合衆国構想」みたいなもんでお前の稚拙なファンタジイだよ、
と言われればそうなんですけど)
それはそれで「立場の多様性」というのはあるように思うんですけどね。
収録されてる「死刑囚の歌」とかの文章を読んで、つくづく麻原しょうこうが
短歌書かなくてよかったなあとか思いますね。
しかしこの一ノ関さんの歌集、たぶんこのシリーズにはいってなかったら読むことなかった
でしょうから、二次出版が引き起こす命運というのは、これからいろんなものが
あるのかも知れませんな。
仙波龍英さんの集はこのシリーズにはないんですが、
あれほど「死んでからの評価なんかこの時代でありえるわけがない」といってた
(いってただけで本当は思ってなかったのかもそれはわからないけど)
仙波龍英の歌を川本千栄さんなんかが語ってるのを見たりしても、
はー、いろんなことが起こるんだな、とか思うんですけどね。はい。