バスターコールを夢見て

◇佐藤佐太郎の『帰朝』を現代短歌全集で読了。

*わが涙いまこそ乾け土の上つめたくなりて咲きし花等よ

*夏の日のながく寂しき昼すぎに玉蜀黍(たうもろこし)の花が散りゐる

*はるかなるものの悲しさかがよひて辛夷(こぶし)の花の一木が見ゆる

*麦の穂をふく風のおと日食のいくばく暗き道を来しかば

*いくたびも稲妻が赤くたちながら街くれてゆく神田(かんだ)にいたり




◇「塔」二月号の花山多佳子のインタビューを読んで、何度か笑ってしまう。


花山 文体って取り出せないでしょう。必ず内容とセットになっているし。最近
思うのだけど、文体は個人の癖だけじゃなくて時代の癖というのがすごくあるの
ね。(中略)その文体を生む時代の言語空間みたいなものがあると思うし、全く
個人の文体っていうのはないでしょう。そこのところをもう少しはっきりさせて
もいいかなぁと思うわよね。


 話が十分におもしろいとかいうのもあるが、なんと言ってもそれぞれの会話の
 語尾の「わよね」「ないのね」等の終わり方と意志的であることと淡々として
 いることとの幸福な同居性というのかに、なんとなく笑ってしまったのであった。
 10頁もあるのに全然あきない。社会詠に関するとこで、湾岸戦争(とは花山さん
 は言わないが)のときにいろんなひとが歌をそれで作ったが、
 何をいまさら、それならパレスチナはどうなるのと思ったというのはかなり同感。
 インタビュアーはなみの亜子さんで彼女のインタビューでの引用歌も充分おもしろいので、
 少しひいておく。( )内は歌が引用されてるときのおおまかな話の流れの説明。



(子供の歌、その姉弟としての関係)歌:花山多佳子

*幼子がおののき佇てばその胸に手をあてて聴く鼓動ぞ楽し

*水疱の噴きて鎮まる子の身体(からだ)見飽きぬのみの数日が過ぐ

*徹夜明けの姉おとうとが将棋打つ音の忙しも襖の向かう

*諍ひののちは互みに油断せず大切のもの隠しゐるらし

*寝床より半身起こし弟のネクタイ結ぶ腕(ただむき)白し



 最後の歌なんか舞城王太郎はこういう世界を外から描きたいだけ
 なんじゃないかとか思っちゃいますね。



◇藤田ちづるさんの「ちいさな童話大賞」の落合恵子賞の受賞作をウエブで読む。
 あんなに鳥を怖がるのによく鳥の話が書けるもんだわね。
 「落書きの神様」がきちんと「落書きの神様」なのが、いまのお話、になってる
 気はしますね。アップダイクの野球エッセイじゃないですが「神はぼくたちに
 返事をしない」のでしょうね。でもそれを「沈黙」とかいっちゃうと、ややこしく
 なるのでやめましょうね。



◇東京でもらった、柳澤望さんの「トーキングヘッズ」(なんか懐かしい・・・)掲載の
 高柳重信について書いたもののコピーを読む。高柳の句の「少年」にポイントを集めた
 2頁ほどの文章。俳句や短歌というのは、それについて書くときその「内側」にいるのか
 「外側」にいるのかについて如実にあきらかにするジャンルでもあって、『第二芸術論』
 というのはそういう意味でも「外側」の頂点的な文章。ところがこのごろ、世代的に
 この「外」「内」が曖昧な境界線上の文章が成立しはじめてるような気がして、
 柳澤さんがおもしろいのはそういうとこです、私から言えば。
 『黄昏伝説』なんていう題の歌集の作者が、「小中英之論」も「短歌表出史史論」も
 途中でばーんと投げ出しちゃってどっかいっちゃったから(まあ小説書いて帰ってき
 たといえば言えるけど)そういう「境界」の問題は誰もなんにも言わなくなっちゃった
 わけですが、だからと言って問題はどっかへいっちゃったわけではないんでしょうね。
 多行俳句のひとの句がなんだか偽古典的で郷愁的なことの意味は、それなりにいつか
 誰かが批判的に超克してゆくことなんですかねえ。
 でも俳論の題としては林桂の高柳論「望郷の船団」というのがあまりにもうつくしかったのですが
 なんとなく坪内さんの「船団」をいまではすぐに連想しちゃうとこがつらいような。



◇買った本

*「本の雑誌」  2004/10 特集:怒りの秋・復讐編  古本
*「ファウスト」 2005/spring/Vol5         古本

 「ファウスト東浩紀の上遠野のインタビューを読もうかなと思ったんですが、
 やっぱりこのサイズがどうもね(^^;)。「本の雑誌」で鏡明の文章をひさしぶりに
 読んだ気がしました。あと同じ「本の雑誌」で小川洋子さんが「本屋大賞」をもらって
 その商品の十万円の図書カードで買った本をあげてますがそのなかに
 ミシェル・トゥルニエの『魔王』が。私もお金あれば買いたいなあ。



◇一首。



*叶えたい夢を持ってる私には少年ジャンプが一番似合う  萩原留衣
                     (「塔」2005/3月号より)