野の舟

◇7月16日。土曜日。
 東京は暑かった。いやどこでも暑いんだけどさ。



銀の鈴で待ち合わせたのは、yanozさんというハンドルネームで
ミクシイでチャーミングな日録を書いている柳澤望さんと、sadamiさんこと
「かばん」所属の新明さだみさんでどちらも初対面。それから、「かばん」
雪舟えまさん。
柳澤さんにこちらからメールを送ってごはんでも食べませんか、
とお誘いしたのであった。
年齢と世代、というのは短歌やら詩に置いては今本当にひとくくりに出来ない
と私なんかは感じる。年を経ていても、ああ世代的には、もっと下なのだな、
という人もいれば、若くてもなんでそんなことまで知ってるんだという人もいて、
距離感の取り方は難しいと言えば難しい。
(しかし、そんなこと考えてもしょうがないじゃん、というのもあって、
 そのあたりが「と言えば」という言葉をはさんでしまうところである)
柳澤さんは細身の男性にありがちの年齢不詳性を身につけてるような感じで、
眼鏡姿が、ちょっと小笠原鳥類に似てる気がする。
みんながそろったところで、お昼にする。
柳澤さんにダンスの話を聞いたりしながら、カツ丼の定食なんぞを食べる。
いつごろからそういうのを見だしたのかを聞くと、91年ぐらい、というので、
あなるほどそれくらいから見てると読んでる本とかああいう感じになるのかな。
今まで見たステージで一番印象的というかよかったとかいうのって何?
・・・え・・・そうですね「ニブロール」ですかねえ。
ニブロール
知りませんか?
全然。



◇ということで、六時の伊津野重美さんの朗読会の時間まで、青山あたりの
画廊などを案内してもらいながらまわったりする。
最初に行ったところに画廊使用の値段が書いてあって、一週間で19万円というのに
ちょっと驚く。新大宮の駅前の小さなギャラリーは三日で3万5千円と書いてあった。
とはいえ知らない世界の「値段」というものに、あまり驚いてはいけないものだけど。
ワタリウム美術館」というのが青山の地図看板に載っていて、
あ、ここ連れていって、と言ってしまう。
以前ネットでそこのホームページを見て、その企画等に現代美術というものが発するあざとさ
を強く感じたから。
たとえば束芋ってメジャーなわけですか?
というような質問を発したくなるところで私は現代美術のあざとさを私は感じるわけですが、
このあたりは失笑を買うところかも知れないですな。

はやりの5Q

Q1、束芋ってメジャーですか?
Q2、昭和二十五年発行の小名木綱雄の遺歌集『太鼓』は「第一回石川啄木賞受賞」
   とものの本に書いてありますが、この石川啄木賞というのはどうなったんでしょうか?
   ちなみに今の「啄木賞」というのは岩手日報文学賞のうちのひとつで、
   全然関係はないみたいなんですけど。
Q3、黒瀬珂瀾のとこには去年の「マラソンリーディング」の時のTシャツ
   (黒。背中にロゴ入り)が残ってるそうですが黒瀬くんがサインしたりしたら
   誰か買いますか?ちなみに私は単純に日常着ています。なんか着やすいんだもん。
Q4、「ジャパンメンテナンス」の名刺をもらって驚くのは私だけですか?
Q5、月曜社から出る予定の『光の国〔新版〕』丹生谷貴志:著の初版刷部数は
   3000部は刷るんでしょうか?

(書いてみただけなので気にしないように)


◇実際に行ったワタリウム美術館は、一階がミュージアムショップで地下が書店とカフェ、
上のフロアが美術館というものだったんだけれども、展示の方はちょっと敬遠して行かず。
壁にある大きな書棚というのは、しかしどこに行っても迫力を感じますね。
そのあと近くの喫茶店で休憩。
私は雪舟さんと紅茶ジュレパフェを注文。
チョコチップバニラアイスとむらさき芋のアイスと、甘さを抑えた品のよい味のくずした
紅茶ゼリーのパフェということでこれはこれでそれなりに満足。
そのあともギャラリー360℃だとかそういうところをめぐる。『「ではお返しに手で君の背中を
撫でてあげる」ところどころ毛の抜け落ちたその猫は、何に目をくれることもななしに、ただ
ただその子に匂いに魅かれて鼻先をこすりつける。その鼻はとても小さく柔らかい。子供の額は
美しく確かに指をひろげた辱さはあった。決して発育不全ではない。』これは岡崎乾二郎のある
作品のタイトルだかキャプションだかだけどこんなようなのがついたコラージュだとかそういう
ものね。最後の方にはいったビルのセレクトショップで虫の絵のイラスト葉書を二枚だけ買う。



◇このあと雪舟さんと新明さんは渋谷の方の「ガルマン歌会」という歌会にいくそうなので、
時間もぎりぎりにせまっていたのに、私が行く予定の「ラパン・エ・アロ」という建物まで、
送り届けてくれる。ということでありがとうありがとう。雪舟さんきみが感じている「壁」は
鈴木有機が感じているものとたぶん同じなんじゃないかな、というようなことは口に出さずに
かわいらしい白地にきりんの柄のブラウスの彼女とも新明さんとも柳澤さんとも手を振り会う。
時間がひろげた両手の中に飛び込んできみは求める<最後の審判>。



◇田中槐さん、入交佐妃ちゃんなど知人が集まってくる。



◇ということで伊津野さんのソロ朗読、「◆ 花は自から紅なり ◆」を見た。
 あらかじめ頑強な先入観をもっていたわけではないのだが、ちょっとこういうもの
 とは思っていなかったので、自分の感想にいまひとつ確信がもてないところがある。
 それはそれとしても、結論としては「これに感動するのは私には無理だな」という
 ほかはない。言葉の順序としてもこれは妥当だなと思うのは、これに感動する人は
 いるのかも知れないしいたのかも知れないから、そういう評価なり批評なりを抱いた人に、
 自分の感想や実感をぶつけて行こうとは全然思えないが、完全に同調も出来ないと
 言うことをこれで表せるように思うから。
 以前荻原裕幸に私が言われたことで、あ、それは正しいなと思ったことがある。
 近年の朗読の感想や批評などに関して、正岡さんは「労をねぎらう」という形の
 評をウエブでやってしまった、それは朗読の「批評」の自然な形成を妨げたところが
 ある、というような内容で、会話の中での話だからこの通りの言い方ではないのだが、
 それはそれで私は納得したし、極端に言えばそれは、花に水をやったつもりが、
 毒を撒いていたということかも知れないとも言える。
 ただそれでも全くその朗読者のことを知らない上での批評や感想を発することへの、
 情緒的な無責任感を払拭するのは難しい。
 また、その朗読者が知人であった場合の、「朗読」としての「到達」や「達成」の
 イメージをこちらが勝手に設定するかに(しかし勝手に設定しなければ結局「判断」
 は成り立たないのだが)して、そこから点数を付けるかに「裁断」をくだしていくこと
 への違和感も拭いがたい。
 単純に言って「素人の朗読」がおもしろいわけはない。それはやっぱりカップヌードル
 にお湯を注ぐようなもので、それを「料理」と言うべきではない。しかし好きな人が
 作ってくれたらカップヌードルだってうまいわけだし、おなかがすいてりゃごちそうだ。
 いままで一度も食べたことがない人には夢のような食物かも知れない。
 どうしてこんなことが起こるかというと、ここで私はカップヌードルの味について言及して
 いるようでいて、さりげなく「幸福感」について言及しているからである。
 これは「音楽」や「映画」に関する批評等に顕著に現れる。そのCD、その映画作品に
 言及しているようでいて、実はその音楽から受けた自分という主体に生起した、
 エモーショナルな興奮や、感情の深化の再確認等に力点を置いた調子の高い文章を読んで、
 実際にその「音楽」や「映画」にあたってみた場合、こんなつまらないものでよく
 あんな文章が書けたものだ、と思うことがあるとしたら、それはそういうことだ。
 しかし私たちは今「幸福」や「幸福感」をめぐるとてつもない物量の「商品」や「情報」の
 中にいることは確かだ。そしてそのこと自体を、どこかで私たちは前時代(ということの
 「前」の定義に関してはここでは言及しない)より「幸福」に思っているのも事実だ。
 「現状に対するノーマルな否定」と「現状に対するやみくもな否定」の境界が曖昧に見えるのは
 そのせいだ。
 けれどどこかに、その境界はあるはずなのだ。
 伊津野さんの朗読に戻る。
 会場は地下のホールで、キャパは50人〜80人程度だろうか。
 時間は60分から70分ぐらいの長さで、休憩等はなしの一回公演である。
 一次的なコミュニケーションを切り捨てた形の公演で、説明や前口上的なものはほとんどなく、
 会場の入り口に置かれた、渚を歩く伊津野重美さんの姿を撮ったフォトポスターが数少ない
 手がかりということか。
 受付ではテキストの作者の早坂類さんのエッセイのコピーがわたされたが、読んだのは実は
 今これを書いているときだった。
 それによるとタイトルの「花は自から紅なり」は禅の「十牛図」の第九番目の詩句からの
 引用らしい。それはそれとして、朗読は伊津野さんの「会話調の発声」と「<劇>調の発声」
 によってシンプルなシークエンスの切り替えを行いながら進んで行く。
 テキストそのものの「意味」はたどりにくいが、それはマイナスになっているわけではない。
 私が特に意外に思ったのは、途中で、バックスクリーンにインスタレーションのようなビデオ画像
 が流れはじめたことであった。画像=映像は雲の流れる空や、渚を歩く伊津野さん自身の姿、
 夜の渚で燃え続ける焚火、等で、その映像そのものの編集や構成そのものはすぐれたものとは
 思うのだが、どうしても視覚の次元のこうした「挿入」に、何を見ているのかというとまどいの
 感覚がもたらされてしまう。
 こういうもので私が想起するのは、たとえば実際には私は見ていないが、ダムタイプの1997年10
 月公演のパフォーマンスバージョンの<<OR>>の「アルプス越えのシーンの前で女性パフォー
 マーがじっと立つ」というようなものである。しかしこの私が想起したものが既に十年近くも前
 のものであることがわかるように、私には現在の普通の感覚での「インスタレーション=パフォー
 マンス」の水準の感覚、というものがほとんどない。
 だから余計にとまどう。
 もうひとつ言えば、展開されるビジュアルのある割合は彼女の身体を写しているのだが、人間は
 かたつむりではないから、身体はどうしようもなく女性か男性かを強いられる。そうして彼女の
 身体が「女性」を投げかけてくるたびに、聴衆の私は「男性」を意識するわけで、そのことの
 妙な感覚のざわつきをあまり私はプラスに感じなかった。
 だから、ワンシーンだけ夜の渚で火にてらされた横たわる彼女の姿が映し出されたとき、
 それははっとするほど美しかったのだが、それを言われてうれしいとも私にはあまり思えない。
 テキストで記憶に残っているのは、中間部か中間部にさしかかるあたりで、「アルビノ」に関する
 エピソードが朗読される部分で、そこは意味が取りやすいというだけではなく、意味が取りやすい
 ことそのもののなかに意味がある、というようなセンテンスを感じさせた。
 先に書いたように、一次的なコミュニケーションを切り捨てた形でなされていたこの公演は、
 一次的なエンターテイメントであることもやはり切り捨てざるを得ない部分があるわけで、
 それを充分納得した上で自分の中に残る経験に、高い価値を見いだせなかった。
 とはいえ、舞台袖からゆっくりとした歩調で歩く伊津野さんの姿を見ながら思ったのは、
 短歌の神様はなぜこういう時代にこういう人を登場させたのだろうか、という形の問いかけだった。
 会場の入口から、ホールに下りる階段には、伊津野さんの第一歌集の刊行予定を知らせる、
 うつくしいビジュアルイメージがさりげなく飾られてあった。
 また秋には、これまでの彼女の朗読をまとめたイベントも予定されているらしく、その案内も
 入口でわたされた案内の中にはいっていた。
 表現と言おうが、作品行為と言おうが、受け手側の「反応」や「批評」に対しては、くだらなければ
 それを切り捨てていかなければ前に進めるものではない。
 私の感想がくだらなければそれはそれとして、早坂さんにせよ伊津野さんにせよ、切り捨ててもらえれば
 いいのではないかと思う。



◇終わってからはとりあえずの予定は立てていなかった。11:00には新宿からバスに乗らないと、
 明日の仕事に間に合わない。非土日歌人っぽい人間の源氏慶太的なかなしみというやつか。
 会館をすぐに出て、田中槐さんの案内で新宿のバー「風花」での朗読会に移動する。
 あんな狭いとこでどうやるのかしらん。と思っていってみると、外にスタンドスピーカーが
 立ててあって、そのまわりに椅子が十数脚出してある。すでに出し物は半分くらい終わっていたので、
 チケット代千円で缶ビール一本をもらう。第十六回と書いてあって、今日の出演はあと柄谷行人が残ってる
 ぐらいみたい。とりあえず煙草を吸いながらビールを飲んで、路上でときどき人がゆきかったり、車やバイク
 が通る中で、柄谷行人講談社文芸文庫島尾敏雄『贋学生』の解説の朗読(というより素読。そしてやっぱり
 講義っぽい)を聞く。中を少し見ると、照明に照らされたカウンターの中に座ってやっている。
 声は「レフトアローン」で聞いたのとほとんど同じで、さほど新鮮な発見はない。
 解説の文章のスジをたどるともなく聞いていると終わってしまった。
 隣に座っていっしょに聞いてたけーこさんが、電話をかけて、向こうのお店を開けてもらうから
 そこに行こう、というので、以前小澤書店の地下にあったときに行ったことの
 あるそのバーに行く。
 ここは前あのひとがお店やってたとこなの。
 あああのひとね。
 とかなんとかいいつつ今あけたばかりなので、二人しかお客がいないとこで、
 昔の清水昶はかっこよかった、えーおれはじめて見たとき酔っぱらいだったよ
 いつも酔っぱらいだよ、とか斉藤慎爾のこの間のパーティーがどうこうとかそういった話を
 カティサークの水割りを飲みながらしたり聞いたりする。
 さくらんぼを出してくれる。
 これ新しい品種なの。
 おっきいねー。
 あ、なんかすももみたいな味がする。
 おいしいね。
 うんうん。
 あとラタトゥユを出してくれてフランスパンも切ってくれる。
 「ほら、フランスパンみたいな警官がゆく」その声も潮騒のごとくに。
 ラタトゥユがおいしかったので、食べないけーこさんの分までもらって食べる。
 小さな冊子がおいてあってそれは俳句の真鍋呉男さんとか司修さんとかが
 やってるみたいな俳句や連句の同人誌らしい。おしゃれで高踏的で一般にでまわらない的。
 司さんの俳号は司糞花とか書いてあったような気がしたが?
 そうこうしてるうちに時間が来たので、タクシーでバス乗り場まで。
 ひさしぶりに乗る夜行バスで満席なのだが、声を立てるひともいなくて、バスはすぐに静かになる。
 ふっと気が付くともう時計は03:40。
 また気が付くと04:50。
 今度は6時ごろ。
 奈良着。
 6:40。



◇7月17日(日)
 一度帰ってから仕事にいくことにして、帰って横になったら寝てしまった!
 あわてて起きて、ぎりぎりに着任。
 ムラカミさんから引継を受け仕事につく。



◇7月18日(月)海の日。
 昨夜はほとんど変わったこともなく終わったけれど、朝になって建物の入り口扉ガラスが
 一枚割られてるのが判明。
 保険で直すためには事故証明がいるので警察に連絡して現場に来てもらう。
 被害届は別のひとが出すので、報告書を作業の合間にパチパチ打ち込んで、なんとか
 終わる。居残らないといけないかなと思ったがそんなこともなかったので、
 そのまま帰宅して、今度は大阪の第二ビルで一時からの「SORA歌会」というのに、
 シャワーを浴びて着替えて出かける。



◇「SORA歌会」というのは彦坂喜美子さんにさそわれたのだが、なかなか行けなくて今回が初参加。
 歌は出していなかったのでとりあえず見学でもと思ったけれど、
 鶴橋あたりで思いっきり短いスカートをはいた女の子が前を歩いてるのを見たりすると、
 この暑いなかをおれはどこへ行こうとしているのだとか思って、
 とびかかってパンツを引きずり降ろしてやろうかとか考えてしまうが
 実際にやると犯罪になるのでやめましょう。
 第二ビルの生涯学習センターの第七研修室が歌会会場。
 結構な人数に驚く。
 そろりとはいると運営の初対面の羽田野さんに声をかけられて、
 歌出せますよ、あるでしょう、と言われてはあ、といってこのあいだのユトリノに書いた
 さくらんぼの歌と、あとその場で作って二首にしてホワイトボードに自署する。
 これが56番と57番で、全部で57首もあるのでどうなることか。
 端の方に谷口さん、山下さん、向こうのはしには江畑実さんがきていて、塩谷さんもきていて
 塩谷さんの隣が空いていたのでそこに座る。
 歌会はそのあと選歌発表で点はばらけるようで意外と重なる。
 そのまま高点歌からの批評となるが、二首目の高点歌のとき、江畑さんがちょっとまってくれますか、
 この歌が高点歌だとしてそれをこう流されるようにしてやられると、会として成立しませんよ、
 と、すっと向こうの席から声を出した。




 ああ。



 そうか。



 そう言えばいいのか。



 そうか。



 そうだよな。



 うん。



 そうだよな。



 と一人で感心する。またそういう風に、すっ、と言える江畑さんをとてもうらやましく思った。



◇このSORA歌会というのは、堀本吟さんらがやっている、「北の句会」という句会からスピンオフ
するような形で生まれている。だから出席者もねっからの歌人と俳句や川柳をホームベースにして
いるひとが半々くらいである。そういうところで、歌に関する基本姿勢、価値観、歴史観、といった
ものはさほど共有されるわけではない。
しかしそれは別にこうしたところだけではなく、がちがちの結社や、それなりの参加者の
「選択」を課した歌会から、少し離れてしまうと、その共有の感覚はいまかなり薄らぐ。
そのことが「必然」である以上、それは実は「自然」である。
私自身は好きとか嫌いとかとではなく、そうした共有の感覚の低下してる場所に身を置いてきた
気が自分でしている。誤解を恐れない言い方をすれば、「そういうところでしか受け入れられ
なかった」とも言える。だから「そこ」で、あるいは「そこ」から、どうすれば一番いいのか、
よくわからない、あるいはよくわからないという振りをしていたりする。
でも、ほんとうはわかっているのだ。



◇とはいえ、江畑さんはそこで席を蹴立てて帰っていったわけではなくて、
(ここで蹴立てて帰ったらそれはそれでサイバーパンク初期の伝説のパネルみたいで
かっこはいいが、雰囲気は悪くはなるわねえ)ある程度の引っかかりをそこで求める
ということをしたわけで、歌数が単純に多いので、そうそう一首にこだわれないが、
会は締まったと私は思う。



◇歌会は現在のところは特に歌会報もないので、ほんとに「歌会」である。
時間ぎりぎりまでやって、飲み会にうつる。
江畑さんもはじめて来た、ということなので、先日の塚本邦雄の葬儀のこととか、
昔のこととかをずっと話してしまう。すいませんねえ、みなさん。
とてもそんな風には見えないが、江畑さんももう五十才だそうで、仕事においても
家庭においても時間をとるのはきびしいだろうな。
休みの朝からこんなものをずっと書き続けている私のような(^^;)わけには
いかないだろう。



◇私はそれでも江畑さんと話していて実はほんとに愉しかった。
そのために雲がぎらっとひかったくらいだ。
それは嘘だけど。
江畑さんと森谷さんとあと、ものすごく長い歌書いてるひといてたでしょう、
あれ誰でしたっけ?
ああ、横田修一。
あー。
というような話はほんとに断片的なのだが。
いやほんとに断片的なんだけどね。
あのころおもしろかったよねえ!
うんおもしろかったなあ。
というただそれだけとかね。
そう、ただそれだけ。
そのただそれだけの話が。
出来る人としか。
出来ないのである。



◇羽田野さんには、私の歌集の中の「夜に見したがいの夢を語るときいつもこころの
水わたる蛇」という歌が好きだ、といってもらった。あまり誰かに何かを言われる
歌ではないのでうれしかったし、これをいいというのはそれはそれで「通」の感覚が
いるだろうな、などというのは思ったのみで口にしなかったがいま書いちゃえば
いっしょじゃないのねえ。羽田野さんは2001年ごろから俳句や短歌を作りはじめた
らしい。そういうひとたちに「現在」は本当はどう見えているのだろう。見えているのは
みんな同じで、ただ私なら私の、「病気の進行速度」のようなものが違うだけ
なのだろうか。



◇9時ごろまで喫茶店にいて、とにかくまた、といって一人になったあと、
なかなか帰る気になれなくて、御堂筋口の歩道橋のたもとで、しばらく意味もなく
煙草をふかしていた。「人生はないが思い出だけがあるような気がする」と
携帯からメールを打った。返信が届いた。


「人生なんて誰にもないよ。過去や思い出を重ねながら前に歩いているものじゃないかな。」



◇夢からさめるとヨーロッパは戦争をしていた。
 電車から下りると、そこは夏の駅。

 火柱の中に私の駅がある     大西泰世