クイネマ、クイネマ


◇今日の日記のタイトルは美内すずえの(以下略)。


◇読んだ小説
*「静かな夜」佐川光晴  「群像」2006/4月号掲載


 はあ・・・・。
 おもしろかった・・・。
 ていうかマクドナルドで小一時間ほどで没頭して読みふけって
 出ようとするとマクドの小柄な女店員に「こちらよろしいですか?」
 とトレイをかたづけられたので思わず「ありがとう、ありがとう」と
 二回言ってしまうくらいに呆然とした主体になってしまった近代読者論的な私・・・。
 西城秀樹(とわざと間違えた振りをするが実は阿部和重)も
 仙石文蔵(とわざと間違えるが実は中原昌也)もさほど読み込んでいなくて
 豊崎−大森ラインあたりの(あるのかそんなライン)ひとから見れば
 文学のブの字も知らないと思われそうな私は
 どうしてこんな話題にもなんにもならないもんをおもしろいと
 思ってしまうのですか、ジーザス。
 あ、でも「en-taxi」のいつかの自動販売機のハンバーガーを
 食べに行く中原昌也の文章はおもしろかったです。
 ちなみに仙石文蔵というのは十樹吾一とかと並んで(以下略)。


◇基本的に文芸雑誌に載る小説というのは概ね「家族小説」で
 つまりは文芸雑誌というのは家族小説誌のことである。
 これは吉本隆明が俗称『言美』の「構成論」で要するに
 男(もしくは男もどき)と女(もしくは女もどき)がセックスするときの
 その「普遍的な関係」の形相が詩(和歌−歌謡)から物語を産んで、
 物語から劇を産んだとする文芸の生成史の延長線、
 または延長戦に現在の文芸誌がある以上
 必然であって例外はありません。
 ということで、この「静かな夜」も「家族小説」なんだけど、
 冒頭4頁ほどで、いきなり主人公の女性
 (夫−九歳の息子と一歳半の娘のある三十代なかばの専業主婦)
 の息子の方が交通事故で死んでしまいます。さらにもう数頁で、
 その死んだ息子の裁判のために必死になって奔走していた夫は、
 裁判の一審の判決が出たとたん、これも過労で急死してしまいます。

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「あなた、直之さん、起きてください。あなたにまで死なれたら、
わたしはどうすればいいんですか」
 母親の悲鳴に娘の泣き声が加わり、弁護士は手渡された携帯電話
をつかむと廊下に向かって駆け出した。

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 短い文章の中の微妙なリズム感に注意すること。
 さらにまた数頁すると三年がたってしまっています。
 悲しみの原因になったと思われる交通事故の相手も、恨みもつらみもまったく
 出てきません。だって家族小説なんだから当然でしょ。
 もちろん小川洋子の『博士の愛した数式』だって家族小説でしょ。
 それ以外の何だっていうんですか。
 でですね三年たって、娘を保育園に通わせて働いてるこの母親は、
 保育園であるきっかけで、別の保育園児の姉妹の若い母親と知り合い
 になります。この若い母親が少し変なわけですね。
 その若い母親から主人公へ手紙が来ます。

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 一週間ほどして、亜希ちゃんのママこと水原聡美からゆかり宛に
封書が届いた。二度も続いた非礼を詫びたあとで、子供をおいてホ
テルに行くわけにはいかないし、どうせ何をしているかわからない
だろうと思い、娘たちが見ている前でも平気でセックスをしてきた
が、それが亜希にはショックだったことがわかったと、達筆な文字
には似合わない幼稚な認識が綴られた手紙を、ゆかりは何度も読み
返した。

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 で、この変な若い母親(もちろん基本的には娘たちと母親のみの家族)
との関係の中で、主人公の生活も仕事も人間関係もぐちゃぐちゃになって
いくというのが後半の展開。
 なんというかそれこそ「ライオンから逃げ出すときに兎は足をくじきますか」
といった一人間に起こったことなのに奔流としか感じられないようなリーダビリティ。
で、その若い母親との関係のなかで、
基本的には何も解決していないのに関わらず、リーダビリティそのもののなかに、
解決が逆送信されていくような「満足感」と「不満足感」が読む者に
あたえられちゃうわけですね。
 いやー、ほんとに没頭してしまいました。
 それと、この小説によると
働いてる配偶者なしの女性が、保育園に子供をあずけていて、
急に失職したときは一ヶ月以内にアルバイトでもなんでも
仕事をみつけてその保育園に報告しないといけないそうなんですが、
これはこの小説の保育園の設定? それとも条例とかあるんでしょうか。
 条例や法律なら、それはきびしい法ですね。


◇あと「岡井全歌集4巻」の『ウランと白鳥』読了。
 歌の余白からは岡井の「年齢」が強くたちのぼり、強く匂って、
 歌の匂いがときにかき消える気がするのだが。はて。


*詩は嘘だ 空にはつかに天然の茜を溶きてうるはしむまで/岡井隆


 さらに『大洪水の前の青天』と読み進めて今390頁。
 がんばれ! 俺! あとまだ本文400頁ほど!


◇角川「短歌」12月号の加藤穂村俵鼎談&ヒゲホムラ写真拝読&拝顔。
 私が「あれから二十年」などと思うこともないのだが、
 まあでもいろいろあっておもしろかったなー。
 群像12月号のなぜアメリカで日本のものが読まれているのかなんたら
 かんたらも拝読。
 いやほんとは図書館にシリ・ハストヴェットの本とか探しにいったんですけどね。
 アッコちゃんいもせず用も無いのに納豆売りが、というかですね。
 まあやっぱり読んでみたい本は買わないといけませんわねえ。