教養幻想論

◇届いた本

*『荒東雑詩』 高山れおな句集  沖積舎  3150円

ああ・・・なんてかっこいい本なの・・・・・・・・・
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で終わってもいいんだけども。
とにかくかっこいい。どうしてかっこいいかというと、
ひとつには高山が自分の「教養」の良い部分や悪い部分は
すっぱりおいておいて、良いも悪いもそんなのもうねえよ、
という点で、すっきりと真向かいあってるからである。
売れる(金になる−価値を生む)ものはかっこよくて、
売れないもの(金にならない−価値を生まない)はかっこ悪い。
売れなくてもかっこいいものというのは単なる強がりか、
ひとりよがり。それはわかる。よーくわかる。
しかしやっぱり別荘系というか、人生アカウント系というか、
世界という湖にぽとりと落とすひとしずくのかっこよさというか、
そういうものはやはりあるのではないか。
モーニング娘。になりたいんだろう。
ジョン・レノンになりたいんだろう。
掟ポルシェにはなりたい・・・こともないか。
しかし。
しかーし。
やっぱりホームページなんかつくってんのは少数派なのよ。
blogって何? っていうのがノーマル勤労者なのよ。
中高年サラリーマンは自己投資しないというのは正解なのよ。
携帯電話のネット使用者は増加してるけどパソコンそのものの稼働台数は、
へってるわけですよ。
電話は道具だからさ。
つまようじみたいなもんだからさ。
でもPCはやっぱりちょっと電動こけしというかね。
なんていうかなあ、「ホームシアター」というかね。
議員バッジというのがあるなら「非議員バッジ」というのも
あっていいだろうと思って作った「非議員バッジ」というかね。
そういうもんなわけですよ。
だからやっぱりネットで語られることにはどうしても屈折があるわけですよ。
もうちょっと言えばネットワーク的な、断片化してても同一ファイルシステム上にある、
情報流通経路内の情報は、
いかにスタンドアロンに見えても屈折し、偏向してるわけですよ。
だから、まあ、そういうのは、いいじゃん、と。
Vシネマ? あああるよねえ、そういうの。
ポッドキャスト? ははあ、大変だねえ、とかね。
あるわけですよ。
でも遠くでものすごくたくさん人が死んだとしても、やっぱり
マクドナルドでハンバーガー買えちゃうわけですよ。
吾妻ひでおは立ち食いうどんに卵を落とすわけですよ。
だからとりあえず、「いま、ここ」にいる自分に目をしっかりと
向ける、というのは正しいことだと、
ぼくはおもうんだけどなー。