菖蒲池・蛙又池


◇1990年、「琴座」という俳句結社にはいったのは、安井浩司が
 まだそこの同人だったからで、それがどんな俳句結社かも、
 ほかに誰がいるかも知らなかった。もちろん主宰が永田耕衣
 いうのは知っていたし、入ってすぐに永田耕衣卒寿の会というのが
 あって、小島信夫の講演と耕衣の講演、それに大野一雄と息子さんの
 慶人さんの舞踏があった、というのはいつか書いた。
 それからしばらくして、ある日南上敦子さんという方から電話があって、
 同じ琴座の同人で、奈良のあやめ池に住んでいるので、よかったら
 遊びにいらっしゃいませんか、というのであった。
 このあたりの記憶はもうおぼろで、何を思っていったのか、
 もう忘れてしまったが、この南上さんという方は元波多野爽波の「青」にいて、
 そのまたさらに昔、「獏」という雑誌で一緒だった、
 田中裕明や中岡毅雄などのこともよく知っているという人なのだった。
 この南上さんという人は、きさくな人で、また私の句もおもしろがってくれたので、
 何度か遊びに行き、また今も続いているのかも知れない神戸の饂飩屋の二階で
 開かれていた「もとの会」という句会にも一緒にいったりしたと思う。
 そのときに南上さんから聞いた田中裕明さんのエピソードが忘れがたい。
 それがどんな会の話だったのか、もう忘れたけれど、
 あるとき同じく俳人でもある奥さんと、お子さん二人を連れて、句会の会場へ
 見えたそうだ。十数年前のさらに前のころで、お子さん姉妹はやんちゃ盛りの
 ころだが、よくいうことのきく子たちだったらしく、うるさくないように
 遊んだりしていたという。
 そこのおもちゃのピアノがあったらしい。昔よくあった、木で出来た金属音が
 ピンポロンとする、ああいうものだろうか。
 妹の小さい方の女の子がそれで遊びはじめる。
 姉の大きい方の女の子もそれで遊びたそうにする。
 でも妹の小さい女の子は、ずっとそれで遊んでいる。
 姉の大きい方の女の子は、それをずっと横で見ている。
 ちょっと貸してあげなさい、と奥さんがいったのだったか。
 とにかくそれでもずっと、
 小さい女の子はずっと遊んでいる。
 奥さんが、田中さんに、子供たちがこうこうこうだ、と言いにゆく。
 すると田中さんは、子供たちの方に近づく。
 そして声をかけたのかかけなかったかのか、
 ピアノを独り占めしている女の子の方を、
 ばしん、と殴ったのだそうだ。
 火がついたように、わっ、とその子は泣き出す。
 すると田中さんはその泣いている子をずっと抱きしめて、
 にこにことほほえんでいたそうだ。
 俳句の集まりなので、集まったひとたちは子供が泣き出したので、
 おろおろして声をかける。でも田中さんは、
 「いいんです、ぼくがぶったんです」
 と言って、ずっとその子を抱きしめていたそうだ。
 この話を聞いてから、どこかの編集者が、田中裕明に、子育てとまでは
 言わなくても、そういう日々を綴った随想集などでも書かせたりしないだろうか、
 と、ずっと思うともなく思っていた。
 もうそんな本も出ることはあるまい。
 そう言えば田中裕明にはこんな句もあった。


 竹生島へ妻子をやりて秋昼寝    裕明



◇県立奈良図書情報館へ。
 マリー=ロール・ライアンの本を捜すとすぐに見つかった。
 というか、水声社のこのシリーズ、「記号学的実践叢書」は
 かなり揃っているのだった。
 とはいえ、本格的な物語論であって文芸批評のたぐいとは一線を引く本なので、
 とりあえず訳者の文章だけ読んで書棚に戻す。
 そのあたりには瀬尾育生「二十世紀の虫」や
 野村喜和夫「二十一世紀ポエジー計画」とか
 いろいろあるので、いくつか取り出して拾い読む。
 「吉本隆明が語る昭和」だとかいう三月書房に並べてあるシリーズ本も全巻あったので、
 詩のことをインタビューしている巻を拾い読む。
 この前は気が付かなかったが、野村の「街の衣のいちまい下の虹は蛇だ」も
 藤井貞和の「神の子犬」も詩の棚にはあったのだった。
 暗くなる。
 五時だ。
 大きな二階の窓という窓の内側に、ロールカーテンが、いっせいに下りる。
 私は「現代思想」12月号の立岩真也と誰かの対談を読んでいる。
 私は赤い椅子に座っている。
 そのあたりには赤いストゥールのような椅子が、四角いスペースの
 外側に沿っていくつも置かれている。
 私は立岩の社会学的な富の分配の在り方の問いかけ方に、
 「ひとが働かなくてもよい世界、
  ひとが子供を育てなくてもよい世界、
  それでもひとが生きていける世界、
  それでも「友」が、「食」が、顕現する世界」
 を、私が安井の句集『中止観』に見た「世界」、を見ている。
 そして私は本を置く。
 そして私は階段を下りる。
 コートを着る。
 自動扉の外へ出る。
 なぜなら。


 家へかえる時が来たから。